高徳寺跡

2014-11-30 | 日記

       

お昼ころ、土田邸に同い年の同じ高校を母校とする既に先の見えかかった男女各五名が参集した。実に、 “ あれから40年 ”  だったのである。お料理はかつてのうら若き女子高校生たちの手になって、お料理ができるまで僕らかつての紅顔の男子はただウロウロしながらグラスを並べたり、ウロウロしながらお皿を並べたり、それにお酒の用意は勿論的確だった。ここにおしゃべりの内容は省略しなければならないが、気付いた時間はもう五時を廻っていたから、読者よ! ワカルデショ。 そして次回を約し、名残を惜しんで散会しなければならなかったのである。それぞれに “ あれから40年 ” を抱えながらも、生れも育ちも風土を同じくする未だ色あせないセピアの時間だった。

       今ここに不在のひとを思いつつ失われた時よグッバイ・ハロー

写真の苔むした地蔵は、土田邸の数軒隣にあった高徳寺というお寺の跡にボーゼンと鎮座していたのだった。廃寺になって “ あれから何年 ” たったかは知らないが、絡みついている苔はこれから冬に向かっての暖かい緑のコートであればいい … 。合掌

 


夕方の図書館前

2014-11-29 | 日記

      

古民家レストラン “ 舞待夢 ” ( 柏崎市西山町別山5944 ) の帰り、同行した人たちと別れ長岡市中央図書館に寄った。もう一ヶ月以上も借りてしまった本やCDを返却しに行ったのである。後ろめたく今回は申し訳なさそうにして行ったが、係りの方はそんなに咎めるという訳でもなかったので、懲りずにまた本とCDを借りてきたのである。なんと有難いことか! そうして夕方の外は雨が降っていたのである。この写真は図書館玄関前で撮ったもので、雲の動きは早く、雨に濡れた路面には夕方の光りがリフレクションしていた。普通の何でもないこの時間の風景に、どうしてか知らないが 「 都会 」 を感じたのだった。東京に住んでた頃の何か遠くさみしい記憶があったのかも知れない。雨と灯りとシルエットと、そして夕暮れに滲む過ぎた日の思い。そういう感傷が時と場所を越えてフッと浮上してくることがある。もう十一月も末の November rain である。

 

        

               ご一緒した方からの yasuragu kawaii kotori の贈り物

 


夜空

2014-11-28 | 日記

今夜は、今頃の季節にしてはとても暖かい。外に出て、少しの軽いストレッチをして夜空を見上げれば、星辰が瞬いていた。これからの季節、もうこんな日はメッタにないだろうな、と思いつつしばらくこの甘美な時間を感覚するのである。実に古典文学の世界とも言うべきロケーションである。千年前の世界も恐らく、多分、きっと、あるいは、そうであったに違いない。夜の外気に浸っていると、この地は未だ手付かずの日本の秘境かも知れない、と思うのは言い過ぎだろうか。小川の流れる音もあって、静かな音響が夜の隅々までしみわたっている、かも知れない。 『 古今和歌集 』 ( 岩波文庫 ) より、みぶのたゞみねの哀傷歌一首を書く。

    寝るがうちに見るをのみやは夢といはん はかなき世をもうつゝとはみず

 


フリ・ガレタ (?) を知ってるか

2014-11-27 | 日記

  

6年前に描いたデッサン帳を見ていたら、こんな絵が出てきた。 そして “ フリ・ガレタ ”  なる人物は実在していたのか。当時このデッサン帳にメモ書きしたものを、またここに掲載してみる。

フリ・ガレタは、独学の天才作曲家、音楽師、キャバレーのピアノ弾き、ジプシ―または労働者にして、時計作り、スペインの片田舎バルセロナから3時間のところにある小さな海辺の町サント・フェリュウ・デ・グイクソルス出身。小柄なおとなしいオトコ。40代の終わりに死、カザルスの回想録にある人物。

「 彼は鬼才であり、まれに見る天才だった。彼は全くの独学だった。もしガレタがすぐれた教師についていたら第二のブラームスか第二のベートーヴェンになれたかも知れないと思っています 」 と誰かが書いた。

誰かとはパブロ・カザルス ( 1876-1973 ) のことで、 “ Joy and Sorrows : Reflections by Pablo Casals as told to Albert E.Kahn  ” より引用した。ガレタなる人物がこんな感じだったらいいな、と思いつつ描いて見た。

 


踊る萱

2014-11-26 | 日記

       

辛子色に枯れて行く細長い鋭角的な葉が、ダンサーの動きを思わせて面白い。そうとう昔、NHK・TVでモダン・ダンサーの勅使河原三郎が田んぼの真ん中で風のリズムに乗って踊っていた。確か、宮沢賢治 ( 1896-1933 ) を再現した番組だったような … 。 かつて、賢治は生徒たちと郊外学習に野原へ行くと、突然踊り出した、というエピソードを聞いたことがある。とても素敵な話だと思う。歩きながらそんなことを思い出していたから、この一本の枯れて行く萱が一人のダンサーに見えたのだった。

      川辺行き冬に枯れ立つ野の草にモダンダンスが息づけにけり