秋葉火祭り

2010-07-29 | 日記
これは24日 ( 土 ) 夜に行われた 「 秋葉火祭り 」 の時のものです。大きな火柱が鎮静し熾になった状態です。これからこの上を人が渡ってゆく 「 火渡り 」 の、初めに祈りを捧げているシーンです。無事渡るとありがたい御札 「 御守護 」 がいただけます。

  秋葉の大祭り 火渡りの証  越後栃尾 秋葉三尺坊大権現 
                別当 常安寺


フィギュア

2010-07-25 | 日記
女性彫刻家 ニキ・ド・サンファール ( 1930-2002 ) のフィギュアです、が勿論サイン入りでもありません。これは僕が友人の家にあったのを所望してきたのでした。
とてもフクヨカな肉体で、ハデな色彩ですが、でも何か正体不明のオーラが出ているような気がします。何だか分からないもの、不可思議な造形にとても魅力を感じます。

生命が混沌と秩序のハイブリッドとすれば、彼女の作品は正に生命そのものの造形であった。別言すれば、不可思議な造形とは、生命に対する畏敬の表現であった、と僕は思います。

暑い暑い短夜に、サンファールのハデなフィギュアと共に音楽を愉しむ。


夕陽の見えない夕べの空

2010-07-23 | 日記
7月23日午後7時11分の夕陽風景。昨日に続き 「 夕陽 」 です。昨夜やっと加藤周一著 『 夕陽妄語 』 を見つけました。なんと言っても積読なので、探す本が何処にあるのか、探索するのがとても大変。
今、手元にあるのは朝日新聞社1997年発行の 『 夕陽妄語第一輯 1984・4-1987・12 』 です。巻頭に新聞記事の一番最初の文章 「 夕陽妄語の辯 」( 1984年 ) が掲載されています。その一節を紹介します。

 ……
旭日昇天の意気は、初めから私には縁がなかった。今でも、出世、成り上がり、勢力拡大、狂信主義という種類のことを、私は好まない。私が好むのは、長い年月の間に楽の茶碗に滲み出す微妙な色調であり、沈みゆく町に沈む夕陽の最後の輝きであり、あらゆる価値に対する懐疑主義である。もし私の雑文に時節があるとすれば、その時節は夕暮れにちがいないだろう。「妄語」は、兼好法師のいわゆる 「 心にうつるよしなしごと 」 である。…… ( 加藤周一著 『 夕陽妄語輯 第一輯 』 ) 
             

夕陽 ( せきよう )

2010-07-22 | 日記
7月22日(木)午後7時の夕陽の情景です。なぜか近頃、夕陽が気になって外に出て見たくなります。

ところで古い話ですが、加藤周一 ( 1919-2008 ) が朝日新聞の夕刊に、たしか毎週金曜日に連載していた 『 夕陽妄語 』 と言うコラムがありました。ゆうひのうそごと、と言う意味で 「 セキヨウモウゴ 」 と言う漢語読みがとてもモダンに思えたものでした。分野を問わず世界や日本の出来事を彼がこのコラムで論評するのですが、金曜日の夕暮れに加藤周一という知的文体にハマッテしまうのでした。

僕にとって夕陽 ( せきよう ) といえば、この 『 妄語 』 のことで、夕陽という知性がまた今日も沈むのだった。


暮れてゆく

2010-07-20 | 日記
7月20日午後7時の西の空。日は落ちて空ばかりが青く、雲は今日のはたらきを終えて家路を急ぐようだ。明日もまた晴れるだろうか、明日もまた太陽と共に起きることができるだろうか。

一日の無事の終わりに、何かにとても多く感謝しなければならない。自然にか、我にか。僕のまわりの多くの人たちに。