インテリア

2014-09-30 | 日記

     

        デンマークの建築家、フィン・ユール自邸のインテリア

この本は今年九月にドイツのハッチェ・カンツ出版 ( Hatje Cantz Verlag ) から発行された、最新のフィン・ユール ( 1912-1989 ) に関する本である。2008年、このユールの自邸の公開が始ったということだが、岐阜・高山にある椅子工房、㈱キタニの敷地内にはこの家が再現されている。僕は未だ訪ねたことはないが、会社に以前伺った時の印象では、社屋も付随する能舞台 (?) も立地するロケーションも、それに社長はじめ会社の人たちの対応がとても心に残るものだった。またいつか再訪して見たいと思っているが、再現ではあるにしろユールの自邸が日本でも見られるのは嬉しいことである。

 


ポリアコフ作品集

2014-09-29 | 日記

      

1998年にミュンヘンで発行されたセルジュ・ポリアコフ ( 1906-1969 ) の作品集。ハードカバー・クロス装。カンディンスキーに影響され、生涯抽象絵画を描く。ロシアに生まれ、フランスに帰化する。

 


秋の一日に

2014-09-28 | 日記

今日は部屋の掃除をした。あまりにも天気が良かったから掛けブトンも干して、縁側に腰掛けて午後の時間は “ 紅茶 ” だった。珈琲は昨日切れてしまったのだ。秋の暑い日に熱い紅茶も美味しかった。夕食はチキンカレーを作った。スーパーまで買出しに行ってきて、一パック220グラム入りの鶏のもも肉をコンガリ炒めて、レトルトのカレールーと一緒に煮込むのである。短時間で本格のものが出来た。スパイスの香りが家中に漂う。この日の日曜日の一日は、このチキンカレーのためにあったようなものである、と実感する。

      目ざめたる午前八時は秋ふかき日ざしに白き障子めぐれり 

                      ( 岩波文庫 『宮 柊二歌集 』 より )

 


心に残るシーン

2014-09-27 | 日記

最近、このブログで紹介した直木賞受賞作品の葉室麟著 『 蜩ノ記 』 には、心に残るシーンが何ヵ所かあって、ここに一ヵ所、備忘録として書いておいてもいいと思う。そのシーンを下記、引用する。

庄三郎が井戸端で顔を洗っていると、薫がそっと近づいてきた。勇気づけるようなことを言ってやりたいが、お美代の方の出自がわかっただけでは、秋谷の命を救う助けになるとも言えない。しかし、何も伝えないのも気が咎める。庄三郎はたまらなくなって、 「 必ず、戸田様をお救いできる道を探し当てます 」 と口にした。薫は驚いたように顔を上げて庄三郎を見つめた。庄三郎はごほん、と咳払いをして話を続けた。

「 それがしがこの家に参って二年になります。何をなさねばならないのか。いや、何をいたしたいのかがようやくわかってまいりました 」 「 父上を守ると言ってくださるのですか 」 薫は真剣な眼差しをして、庄三郎に詰め寄らんばかりだ。 「 さようです。しかし、それがしがお守りいたしたいのは、戸田様だけではござらん。奥方様も郁太郎殿も、そして薫殿もです 」 「 わたくしまで … 」 薫は戸惑ったように目をしばたいた。落ち着かない素振りで庄三郎は薫に向き直った。 「 それがしは、薫殿を生涯、お守りいたしたい、と思っております 」 薫は見る見るうなじまで赤く染めてうつむいた。そして、うろたえた様子で黙ったまま背を向け、あわてて駆け去った。庄三郎は唖然とした。 ( なんということを言ってしまったのだろう ) 薫のいじらしいほどの健気な面差しに、思わず秘めていた胸の内を告げてしまった。薫の心中を考えもせずに口にしてしまい、嫌われただろうと思って後悔した。

肩を落として、庄三郎は顔を洗い終えると台所から板の間に上がった。朝餉の膳が並んでいる。庄三郎の膳には、生卵がひとつのっていた。隣に座った郁太郎が不思議そうに、 「 今朝は、鶏は卵ひとつしか産んでおりませんでした。母上か、父上が召し上がるとばかり思っておりましたが 」 とつぶやいた。秋谷が箸を取りながら、 「 郁太郎、男子は食べ物のことをあれこれ言うものではない。出されたものをありがたく食せ 」 と淡々と言った。織江が微笑して、 「 そうですよ。檀野様は調べ物でお疲れですから、薫の心づくしです 」 と告げた。

薫は頬を染めてうつむいた。その様子を見た郁太郎が、 「 さようなものですか 」 と首をかしげて少し口を尖らせた。庄三郎は白く輝く卵を見つめた。 ( 薫殿は、わたしを嫌ってはいないようだ ) ほっとすると同時に、いやむしろ、と様々に思いをめぐらせて、庄三郎は嬉しげに口もとを緩めた。 ( 以下略 )

たった一個の生卵が輝くシーンである。読書の楽しみは、僕らの何気ない日常生活を返り見させてくれるところにもあるように思う。普段の食卓にあって気付きもしないような生卵が、こんなにも美しく見えるのである。小説の中での理由はあるにしろ、それはそうに違いないだろうけれども、ひとつの読書によって、ものの見方が鮮明になる、ということはあるのである。形而上か形而下などと言った精神的または物理的な読み方とは離れても、全体のストーリー ( 文脈 ) からワン・シーン ( 断片 ) を切り取ったにしても、読書の楽しみと喜びは自分の日常にちょっとした驚きとささやかな輝きを与えてくれることにあるのではないだろうか。これを読んだ前と後とでは、象徴的に言えば、僕の “ 生卵への ” 感じ方に変化が出てきたのである。なので、今朝は久し振りに、卵かけごはんを食べたのだった。炊きたての新米と生卵、とても美味しい朝餉であった。そうしてまた一日が始まる。

 


読書

2014-09-26 | 日記

        

このところ時間があると葉室麟の著作を読んでいる。今、読んでいるのはこの 『 乾山晩秋 』 ( 角川文庫 平成20年12月発行 ) という短編小説集である。17世紀初頭から18世紀へかけての江戸時代が舞台であり、この時代に生きるアーティストを描いて、彼らは現代に蘇生するのである。尾形光琳、尾形乾山、狩野探幽、長谷川等伯、英一蝶そして1682年に39歳で没したという閨秀画家・清原雪信である。東京国立近代美術館に所蔵される彼女の作品をサイトから転載する。

          

              清原氏娘雪信筆 『 花鳥図 』