「花の匂い」

2018-09-30 | 日記

        

        

先日、古道具屋さんで見つけた黒いマットのキャンバス0号額縁に、10年前に描いたスケッチを入れて玄関の「ミチオ君」の脇に飾って見た。描いた日付けを見ると2008年3月31日で、僕がUターンしたのはこの年の5月末だったから、引っ越しの準備で忙しくしていた頃だった。そしてもう10年が過ぎたのである。昨夜、八代亜紀のCDを聞きながらたくさんに積み重なって崩れているスケッチブックを物色していて、なんとなく、言葉の書かれてあるこの絵を入れて見たのである。この写真の拡大が下の写真である。

               

言葉は「花の匂い」と題した哲学者・九鬼周造 (1888-1941) のエッセイから一部を引用したものである。今思っても、当時からあんまり読書範囲が拡がっていないのが知れて、それはそれで改めて思いを深くするのである。長年の東京暮らしを離れるに、九鬼周造のこの「可能が可能のままで … 」という言葉が胸にジーンとくるのであった。3月末に描かれてあるから、引用文の下に書いた桜色の3本の樹木はきっと桜である。文の中に木犀とあるがこれはちょうど今の季節で、春と秋がこの紙上で同居しているのが僕としては面白い。以下はその文章である。

                      花の匂い

                 今日(こんにち)ではすべてが過去に

                 沈んでしまった。

                 そして私は秋になって  

                 しめやかな日に庭の木犀の匂を  

                 書斎の窓で嗅ぐのを好むように

                 なった。私はただ

                 ひとりでしみじみと嗅ぐ。

                 そうすると

                 私は遠い遠いところへ運ばれてしまう。

                 私が生まれたよりも

                 もっと遠いところへ。そこではまだ

                 可能が可能のままで

                 あったところへ。 ― 九鬼周造  ‘08.mar.31 写す

              一首記す。 ―うすい桃色の花びらを踏んで通う道は雨降りー 実通男

 

きっと平成20年3月31日の朝の通勤時には、雨が降っていたのだろう。住まいから会社までは歩いて通っていたのだった。

 


床の間の名月

2018-09-23 | 日記

                     

月を見に外に出てみると、マダラの雲間に月が見え隠れして出ていたのがよかった。日中暑かった分、今夜は涼しい月の夜になった。白磁の壺の水を入れ替えて、秋の夜長を葡萄ジュースで愛でるのである。石は黙って材木の切れ端に座っているだけなのであるが、それはそれで考えようによってはランプを名月に見立てて、藪の中の地蔵尊である。掌を重ねて持つ供物の大切は、石の命をはぐくむ供物である。「石は紅差して千年こたえず」と言う。藪の中に「だれも見ていないのに」じっと座っている。石は月光に照らされて藪の中の一個の沈黙(しじま)である。今夜の床の間は鬱蒼した「藪」になった。今年の残り日はあと99日。

 


芒二様

2018-09-20 | 日記

          

          

昨日の夕方。天気が良く、実に秋天であった。上の写真はまだ風のない夕陽が照らす穂が出たばかりの芒、下は同じ時間の夕陽の当らないエリアの芒が斜めに傾いている。いつの間に秋が深まっているのが分かる。この辺りの山間部でさえ、もう稲刈りが終わっているのだった。今週末には山の畑にある栗の木をまた見に行って来よう、先週見に行ったけどまだ栗の毬が小さいようだった。柿の木もあるのだが、こちらもまだまだ青い。風が少し吹いている。新しい風がどこかで生まれて、そして古い風は、いつのまにどこかで静かに亡くなるのか … 。その境界が知りたく思うのである。またいつの間に、小鳥や蝶が秋の中に見えなくなって行ったのだ。実際、少しの風に秋の色が揺れている。

        

                  だれも 見てゐないのに

                  咲いてゐる 花と花

                  だれも きいてゐないのに

                  啼いてゐる 鳥と鳥     ( 立原道造詩集より「 ひとり林に … 」 )

 


窓の月

2018-09-19 | 日記

             

窓からの月が結構いい位置で見える。帰る友人を見送りに秋の夜を深呼吸しに外に出て見ると、月が出ていた。ただそれだけのことだった。それで窓を開けてみるとやはりいい位置で月が見えるのだった。先ほど、東京からの建築家の友人が帰ったばかりだった。ルドン展の話や今度フェルメールが九作品も日本にやってくることなど話しながら帰って行った。そして僕は今夜はもう眠いばかりになってしまった ……  。

 


母を向かえに

2018-09-14 | 日記

        

        

午後5時前の帰り道で撮ったもので、上の写真は菅畑の集落(遠く守門岳の頂きが雲で隠れている)で、下は夕陽の落ちる栃堀高徳寺集落で、その奥の山並の上には厚い雲がかかる。やはり雲の裂目からは光が差しているのが何だか有難い。稲刈りももうそろそろ終わりになってきたから、周りの風景ももうじき寂しくなるのである、間近に冬がやって来る。夕方、母を病院に定期健診のために連れて行かなければならなかったから、用を早めに切り上げてこの帰路の時間になったのである。そして終業間際の病院の待合いで僕は文庫本を読む。病院での待ち時間ほどMOTTAINAIものはないから、僕は本を読んでいる。今日は柳田国男著『 野草雑記・野鳥雑記 』(岩波文庫版) を持っていった。

鳥が我々の前に来て最も自由に物を言う動物であることは、恐らくは昔話の特に彼等のためにいつまでも成長した理由の一つであろう。昔話の管理者はかなり久しい以前から、老人とその孫たちであった。そうして彼等にはまた昔話の、時刻というものがあったらしいのである。椰子の葉蔭に横たわって日を過ごす人々は別として、働かねばならぬ温帯の国の田舎では、日の夕暮はただこれ等の人々にのみ寂しかった。兄姉はまだ野仕事から還らず、母は勝手元に火焚き水汲みまたは片付け物に屈託をしている間、省みられざる者は土間の猫鶏、それから窓に立ち軒の柱にもたれて、雲や丘の樹の取留めもない景色を、眺めていることの出来る人たちであった。年寄りがいなければ子供仲間で、物蔭を怖れて遠くへは行かずに、心ばかりを誰よりも自由に、働かそうとしたのもこの時刻であった。(以下略)

とても胸打たれる一文であったのである。夕暮れの「寂しい時間」は弟妹の心を成長さす「時刻」であった。夕暮れはこの「取留めもない」大切な時間なのである。