『山名文夫作品集』というモダニティ

2019-04-30 | 日記

                

いつの頃からか、僕は山名文夫 (1897-1980) というグラフィック・デザイナーの絵が好きになった。大正時代の終わりから昭和初期に描かれた女性のイラストレーションや清潔感のある単純な線描に彩られたその色彩に、何とも言えないオシャレな洗練された “ 都会の女 ” を感じたのだと思う。田舎者の僕にはとうていイメージ出来ない美しい女性たちなのであった。“ モナリザの微笑 ” に代表される絵画の世界ではない、また次元の違う絵の世界なのであった。実にシンプルな線描の、また、陰影をつけない実に単純な色の塗り方で、エレガンス、というのを見せてくれるのだった。
都会的な、オシャレな、エレガントな、清潔な、エロチシズムの匂う絵画 (イラストレーション) ! 彼がデザインする資生堂は、僕の都会であり僕のレカミエ夫人なのだった。下記は1928年に書かれた「 ROMANIA 」という山名の詩である。この『山名文夫作品集』(誠文堂新光社 昭和57年新装発行) に掲載されている。

              私は女の顔を描く 彼女たちは私の恋人になる
              私は彼女たちに名まえをつける
              ZAZA は額に巻毛を持っている
              NASTENA の編毛は胸まで垂れている
              POLLY のシュミーズは少し短いね
              LUCIENNE、おまえの頬にスポットをつけよう
              あるとき、私は MOLLY のカンヴァスを塗りつぶそうとした
              これは私を悲しませたが そのころ私はたいへん貧乏だったから …
              彼女は沼に陥ちたように だんだん絵具の下にかくれていった
              ふたつの瞳が最後に私を見たとき 私は言った
              “ MOLLY よ さよなら もう会えないね ”
              私はこうして女の顔を描く
              何年かの後 私は老人になるだろう
              ペンが握れなくなって いちんちベッドの上にいるだろう
              そんな時 彼女たちは昔のままに無口でやさしく
              四方の壁から私を見ているだろう
              そしてある朝私は最後の息を引きながら言うだろう
              “ SUZANNA よ CHARLOTTA よ RURU よ さよなら もう会えないね ”
              一本の画鋲で止められている彼女たちは
              聖天使の翼のように はたはたと翻るだろう

 


八重桜と雪の守門岳

2019-04-29 | 日記

          

このところ天気のいい日が続いているが、朝は少し肌寒いような気がして、まだ石油ストーヴを出したままで、夕方もストーヴをつけている。前回のブログからちょうど一か月も経ってしまった。どうもごぶさたになってしまった。一か月でもう春の盛りになったのである。今の季節、柔らかい緑が心地いいから、守門岳のまだ雪の白いままの姿が青い空にくっきりしている、これは春の喜びである。あまりにも空の青さが眩しいから大地も黙ってられなくて、これらの全てが輝いているのである。そういう春の日である。ここで “ ポエジー ”という言葉が浮んできて、ポエジーとはこの空気感のことである、と実感するのである。だから、このポエジーというのは何も文学界だけの言葉ではなくて、ここに今生きている肉体が緩やかに流れる空気に触れて、実際に五感で感じるのが、この “ ポエジー ” なのであろう。藤原定家の歌に、

                   野も山もおなじ雪とはまがへども春は木毎に匂ふ梅が枝

というのがある。野も山も、見ればみんな同じ雪と見紛うけれど、でもよく見ればそれは、春にはそれぞれの木にはそれぞれの梅の花が咲いているのだった、という。五感の中に言葉が生まれてくるのである。野にも山にも、そこに言葉が発生すればそれは一首の歌なのである。