初雪の夜に

2019-11-30 | 日記

         

今朝起きて見ると、辺りは薄く雪が覆っていた。長岡では昨日に初雪が降った。いよいよ実質的に冬が来たのである。やっぱりこの地方では雪を見ないと冬になったという実感が湧かないのであるが、それは僕だけのことだろうか。雪のない冬という季節は考えられないから、やはり冬は雪なのである。冬支度とは雪への対処のことである。僕はまだ雪囲いしていないので、しかし僕はどうも、雪を見ないとこの雪囲いをする気にはなれないのである。だから明日にでも囲いをしなければならないような、気にはなっているが、やはりどうも … もっと降らなければ、という思いがこの期に及んでさえも、そういう気になれないのが、メンドクサガリヤなのである。やってしまえばホンノ数時間で終わるのに … 。悩みは尽きない、毎年の恒例事業 (ナントオオゲサナ言い回しだろう) にもかかわらず、である。
しかし、そのことはそのことで、雪もまた冬の営みを教えてくれるのであるから、人生を鍛えてくれると思えば、雪の季節もまた貴重な経験をもたらしてくれるのである。こういう日には思い切って雪囲いをしないで、やっぱり炬燵に入って佐藤春夫 (1892-1964) の『殉情詩集』(大正10年 新潮社刊) を再読するのである。

 

                 片こひの身にしあらねど 

                 わが得しはただこころ妻

                 こころ妻こころにいだき

                 いねがてのわが冬の夜ぞ

                 うつつよりはかなしうつつ

                 ゆめよりもおそろしき夢。

                 こころ妻ひとにだかせて

                 身も霊(たま)もをののきふるひ

                 冬の夜のわがひとり寝ぞ。  (「或るとき人に與へて」)

 

詩人の現実経験をひとつのフィクションとしたものだろうか、心身が「をののきふるひ」というフレーズが妙に迫真的なのである。実際の人妻をここでは「こころ妻」としたのだろうか。29歳の詩人の人妻への恋ごころである。大正十年の「冬の夜」は、令和元年の四畳半の冬の夜を「いねがて」(眠れぬ) の恋愛空間に変えるのである。

 


小春日和

2019-11-24 | 日記

          

今日は一日あたたかい日だった。家の中より外の方がポカポカで、車庫の片付けをしていると汗が出てくるのである。午前中に片付けて、午後は熱い珈琲で読書である。障子戸を開けガラス戸を開けて、そしてブラインドを開ける。今の季節にはもったいないような日差しを取り込む。
読むのは日本画家・鏑木清方 (1878-1972) の『 清方隋筆選集第一巻 』( 昭和17年刊 双雅房 ) の「四季しのぶ草」である。なぜ清方かと言えば、たまたま1999年に発行の『芸術新潮』を見ていたからで、この号が清方の特集だったからだった。清方は画家でありながらも、特に美人画を描いては第一級で、そして名文家でも知られていて、たまたまこの旧い随筆集を所蔵していたからである。こんなたんぼに囲まれ山奥の田舎に居てさえも、江戸情緒の残る明治の時代の風物を書いた文章が、何故か知らないが僕の失われた思い出をしみじみと思い出させるのである。随筆のタイトルをここに書き出して見ると、春侘びし、大橋の白魚、きいろい花、褪春記、菖蒲湯、団扇と浴衣、土用前後、凉床語、秋、秋まだ浅き日の記、からかぜ、雪。
失われた若き日も、女も、全てが美しい。恵まれた小春日和の一日であった。「 菖蒲湯 」の一節から、

女師匠は縁先の庭六尺ばかりを隔てて溶々と流るる川の水を見るともなく、見戌(まも)つて、雲が山から離れるやうにそつとこのまま身體を運ばれても、当人にはわからないのではあるまいかと思ふほど、さつき湯殿でこの家の女主人が、まるで忘我のさまで居た、それと同じやうに師匠も流れに心をまかすが如く、どうしたつて人ある部屋とは思われぬ寂寞があたりを占める。               

         置時計のセコンドを刻むのが、いとど静けさを増すばかりである。

毎日の生活の中で、この「寂寞」の時間を僕は好む。または、この寂しさというものの中には美しい記憶ばかりが充溢していて、失われたものが蘇る時間でもある。「菖蒲湯」に浸かる幼い僕と若い母がいる。

 


守門晩秋

2019-11-09 | 日記

         

今日は快晴だったから、守門岳登山口に行く途中にある道院池までドライヴしてきたのだった。久し振りに山の空気を吸ってきた。この山の麓に住んでいながら、ここまで車を走らせることはめったになかったが、今日は天気に誘われて、終わりの紅葉を見てきた。いつもは遠くにある守門岳が、秋の透明な青空の中に、目前に横たわっている。こういう空気の中にいると、何も言うことはないのだ。僕の人生の時間がここに完結している、と思うのである。この瞬間が永遠であって、永遠の断面がこの瞬間である。だから、これから先も何もなくていいのである、ということをこの山の空気がそう言っている。空と山と芒と、それに枯れかかる紅葉と。もうじきこの山々に雪が降り積もる。季節は毎年毎年移り変わって行く、春夏秋冬自然はこの移り変わりを永遠に繰り返すのである。

              (父の命日に) 父も亡く母もはかなく大空に揺れる芒を今年も形見に

 


晩秋夕景

2019-11-04 | 日記

          

いつも見慣れた風景がこうして夕 暮れになるとまた違った風情をもたらして、改めて見入ってしまうのである。見入る、と言うよりは自分もこのトワイライトに埋没して行くのである。日没も早くなって、もう5時頃には暗くなって行く。空の青さが、より青さを濃くして行く。
長岡市出身の歌人・内藤鋠策 (1888-1957) は夕暮れにこんな歌を詠んでいるので、歌集『旅愁』(大正2年4月  抒情詩社刊) より紹介する。(「抒情詩社」は内藤鋠策が作った出版社で、高村光太郎の第一詩集『道程』は1914年、内藤の抒情詩社から出版された。また『旅愁』の装丁は高村が行った )。

                     

             おちかかる夜の空気にいちじるしく今宵は汝のぬれて佇(た)つらむ

        我のわれをしみじみ思ふ寂しさに夕さりくれば戸外(そと)へあゆめり

        ピンの眸のしづかにひかる窓際のこの薄暮(たそがれ)の部屋にかへり来ぬ

        ほの光るピンのひとつのおきてありはかなく汝のいつかへりけむ

 

             

          最近入手した大正2年(1913年)出版の『旅愁』。もうだいぶ黄昏になってしまっている。

 


小春日和

2019-11-02 | 日記

          

一日、暖かい日だった。写真は11時頃の室内で、日差しが部屋の中まで入ってきてとても暖かくて気持ちよかった。縁側に出て外を見ていると、体もポカポカして来てウトウトと、ボンヤリの時間が過ぎて行ったのだった。まだ頭がボンヤリする前には『 鏑木清方文集 制作餘談 』( 昭和54年 白鳳社発行 ) を読んでいたのである。陽射しのある11月に入ったばかりの晩秋の ( もう初冬かも知れないが ) 、こんな日はもったいないような時間である。それこそ外に出て、山道なんかを歩き回ればさぞかしの景色に出会えるだろうに。だけど、こんな日こそには家の中で静かにして、「 こんな小春日和の 」暖かい時間を読書に費やせることはとても幸せなことだろう、と思うのである。朝の遅い時間にカレーを作っていたから、この時間のこの部屋にはまだ少し、カレーのスパイスの効いた香りが漂っている。写真では分かり難いかもしれないが、そう思ってこの写真の部屋を見ていただくと、また少し部屋の風景が違って見えてくるかも、だろう。嗅覚で見ることも、またちょっと面白いかも、だろう。
折角なので、清方 (1878-1972) の文章を紹介しておきます。昭和9年 (1934) 2月の「我が好む画人」という題の一節である。

(前略) さうは云つても、好き嫌ひを軽々に断ずることの、しかし容易ならざるを知つては、一言も云へなくなつて了ふ。だが考へ方によれば、好き嫌いは判断とはまた別なものである。食べもの、観るものその他何でも、あれは好き、これは嫌ひといふのは理屈ぢやゆかない時がある。ムツソリーニと相馬の金さんとは、偉いのとくだらないのとで比較にはならないとしても、くだらない金さんの方が私は好きだ。定評ある名品だつて、好かないものはいくらもある。私は一体所有欲に執着が淡いと思つてゐるが、好きな絵といふのが同時に欲しい絵であるやうな場合には、不思議に、どうにか少しばかり工面をすれば購へる程度のものに惹かれる。今云つた徽宗皇帝は別として、雪舟だの、ミケランゼロだの、いかに名画だつてつひぞ欲しいとは思わない、どうせ手におへぬと極まつてゐるものだからかもしれない、して見ると好き嫌ひがいつか分相応の所有欲に支配されてゐないとは云へないやうだ