朝の月

2012-11-30 | 日記

         

今朝は天気が良かった。まるい月が出ていた。冬の晴れた空のグラデーションは、気候とは裏腹にどこか暖かい。 “ 口のきけない花売りのお姉さんの ” 思いやりのような光景である。過ちは誰にでもある、ある日の過失のような稀なる朝であった。十六夜の名残りのような、昨夜の懺悔のような月光でもあった。今年も既に335日が過ぎようとしている。アルファからオメガまでなぞるのは簡単だが、しかしアルファの身になって一筋の道を行くことはそう単純ではない。単純ではないからオメガまでの道のりは面白いのかも知れない。文庫版・渡辺温全集 『 アンドロギュノスの裔 ( ちすじ) 』 ( 2011年東京創元社刊 ) 届く。渡辺温 ( 1902-1930 ) は詩情ある短編の名手にして 『 新青年 』 編集者だった。

明日は12月。深更、雨垂れの音がする。

 


妹・宮澤トシ

2012-11-29 | 日記

校本 宮澤賢治全集 第14巻 』 ( 昭和52年 筑摩書房刊 ) の年譜を読む。90年前の大正11年 ( 1922 ) の今日、賢治の二歳下の妹トシの葬儀があった。下記、トシの死を記述した11月27日から葬儀のあった11月29日の部分を年譜から書き写す。

「 11月27日 ( 月 )  みぞれのふる寒い朝、トシの脈拍甚だしく結滞し、急遽主治医藤井謙蔵の来診を求める。医師より命旦夕に迫るをしらされ、蒼然として最愛の妹を見守る。この一日の緊張したありさまは < 永訣の朝 > < 松の針 > < 無声慟哭 > にえがかれている。いよいよ末期に近づいたとき、トシの耳もとでお題目を叫び、トシは二度うなづくようにして八時三〇分逝く。享年二四歳。押入れに首をつっこんで慟哭する。

 11月28日 ( 火 )  弔問客でごった返し、お通夜の食事を出すのに家族は追われた。宮澤家には下に浄土真宗の、二階に日蓮宗の仏壇があり、賢治はその曼荼羅に祈りつづける。

 11月29日 ( 水 )  寒い風の吹く日、鍛冶町安浄寺で葬儀が行われる。花巻高女生徒二年以上が門前の両側に整列し、校長の追悼のことばがあった。賢治は宗旨がちがうために出ず、棺を火葬場へ送り出すとき、町角からあらわれて人々と共に棺に手をかけて運んだ。火葬場は同じく鍛冶町 ( 現在は藤沢町 ) にある地蔵寺となりの池のそばにあり、うすぐらく陰気な上に、道はじめじめとわるく叔母の梅津セツは着物にゴム靴というありさま、その上火葬場が火事で焼けていたため、野天で焼く始末であった。薪や萱を山のように積んだ。安淨寺の僧侶がかんたんな回向をしたあと、賢治は棺の焼け終わるまでりんりんと法華経をよみつづけ、そこにいた人びとにおそろしいような、ふるえるような感動を与えた。遺骨は二つに分けるといい、自分の持ってきた丸い小さな鑵に入れた。 」

トシは幼い頃から、父・宮澤政次郎の自慢の娘であったという。当時、新しい女性の生き方に関心の深かった政次郎は、トシが母校の教師になったことを大変喜んでいた。しかしトシの闘病生活は長かった。賢治の詩 「 永訣の朝 」 は悲しみを湛えて感動的である。永訣とは、永遠の別れ。

 


『 佐藤惣之助全集随筆篇 』

2012-11-27 | 日記

         

             刈谷田川上流、段々になった低い堰堤が作る水流の造形

 

下記の文は、昭和18年櫻井書店刊 『 佐藤惣之助全集 随筆篇 』 の 「 春煙記 」 からの引用である。

「 詩歌といふものは、より新しくなくては価値がない。即ち自然のように尖鋭的で、変化きはまりなく生々しくすらあつてよい、僕らはまだ春に煙る木々の穂先すら一枚の豆の葉すら捕へてはゐない。そして動物のゐる、昆虫と花のかくれてゐるこの展望の中にどんな奇怪な詩歌が存してゐるかをさへ知らないのである。 」

「 桃がるいるいと花をつけ、光線が夢以上の綾を織つてゐる木のあたり、風が耳を刺し、眼に青みがしみるやうな処で、ふと僕らのしてゐる事を考へると、心が妙に堪へられなくなる。夜の詩歌、思索の詩歌も悪いとは云わないが、しかしこのわかわかしさ、青やかさ、そして鋭いそして豊艶な、天然のおもしろさを、どんな幼い形式でもよいから、新しく模してみて、絶えず一片の詩ですら処女作の気で発表してゆきたいと思う。 」

この引用したセンテンスは佐藤惣之助 ( 1890-1942 ) の創作態度にして、一つの宣言文のような気がする。幼い形式の一篇の詩にあってさえ、処女作のつもりで矜持を持って発表して行く、というのである。 「 どうも僕たちは作品の若さを恐れてゐる。幼ないもの、新鮮なものに苛酷で、考へ込むだものや、道理のある、より智慧と曲折のあるものへ陥りたがる。それは悪い癖である 」 と。

 


時雨の夜に

2012-11-26 | 日記

                          

もう10年以上も前の個展の時の作品で、 『 旅人 』 といいます。朽ちた木にCDを組み合わせたもの。月日は百代の過客にして、今夜、月日もまた時雨れています。

 


冬の太陽と旗揚げ公演

2012-11-25 | 日記

                

今日は天気が良かった。その朝日の中のハンス・ウェグナーのエルボーチェアー。室内は柔らかいトーンに包まれる。冬の朝日は穏やかで優しい。こういう日がこれから何日あるだろう。記憶に留めたい朝である。

           

              朝日を透かしたロールカーテン、光の抽象絵画である。

いつまでも蒲団の中にいたいが、今日は市内で新しく生まれた劇団ASKの公演が、リリックホールで行われる。その前に見たい個展が一件あるので、急いで朝食を済ます。ここで唐突に、思いつきで 「 蒲団ノ中ノ劇団 」 とは面白い、と思う。午後一時、長岡芸術文化振興財団助成事業にして、劇団ASK旗揚げ公演 「 九魂 」 nine's soul が開演した。舞台は16世紀日本の戦国時代。衣装デザインがいい。そして劇画のような殺陣のシーンの連続であった。地元の若い人たちがこういう劇団を作っていることに一つの羨望を覚えるし、声援を送りたいと思うのである。たくましい旗揚げであった。ぜひ人々を巻き込んで欲しい、と切に思う。