分かりきってはいるが、明日からはもう四月である。今年何をしたか、と聞かれれば、まだ三ヶ月しか経ってないのでわかりません、と言う他ないのである。四月はまず花見の季節であるから、アチコチの花を経廻って来よう、と思う。花の命は余りにも短いので、せめて花の一片 ( ひとひら ) だけでも黒い手帳に挿 ( はさ ) んでからにしようか? 隣家の庭には猫柳が春の風に揺れている。
猫柳雪後のあをき日暮かな ( 岩波文庫版 『 加藤楸邨句集 』 より )
分かりきってはいるが、明日からはもう四月である。今年何をしたか、と聞かれれば、まだ三ヶ月しか経ってないのでわかりません、と言う他ないのである。四月はまず花見の季節であるから、アチコチの花を経廻って来よう、と思う。花の命は余りにも短いので、せめて花の一片 ( ひとひら ) だけでも黒い手帳に挿 ( はさ ) んでからにしようか? 隣家の庭には猫柳が春の風に揺れている。
猫柳雪後のあをき日暮かな ( 岩波文庫版 『 加藤楸邨句集 』 より )
今日は小雨で、昨日は天気も良かったから市内宮内地区を、越後屋珈琲店での 「 朝活 」 のあと、午後、三人で散策をした。目的は、摂田屋の旧街道を歩きながらの、ギャラリーに適当な空家探しをすることだった。それでこの川ベリの写真である。川のほとりは僕には気持ちいいものがあって、こういうロケーションの中でお店を開けるといいなと、以前からのアコガレがあるのである。この左側の奥の方にJR宮内駅を中心にして旧街道があり、その街道沿いに有名な老舗酒造会社・吉乃川やみそ・醤油の昔ながらの製造会社などが並んでいる。この摂田屋という地域は一時代前の街の佇まいを残して、雰囲気のあるいいところだと思う。それにしても天気が良かったので、一層この川のほとりが気に入った。そして、確かに空家はたくさんあるにはあったのである。
昨日のブログ掲載写真を撮り直して、送っていただいた。背景が違うとまたこれも新鮮である。花の名を聞くと、ハイブリッドされた改良種の欄で、ちょっと不明ということだった。この二枚はいずれも昨日の写真よりフォーマルなニュアンスである。撮り方によって、随分印象が違う。 「 湖の匂いがする 」 部屋から、パールの首飾りが似合う空間になった。できればこういう部屋で、美味しいケーキと熱い紅茶をいただきたいものである ( 笑 ) 。
アイノ・アアルト ( 1894-1949 ) がデザインしたフィンランド・イッタラ社製タンブラーと、花を添えて ピカソ の外国製絵ハガキがある室内風景。東京の知人が写メールで送ってくれたのである。面白い組み合わせだけど、室内空気に清涼感のある嬉しい便りである。梶井基次郎 ( 1901-1932 ) はその小説の中で、 「 君の部屋は仏蘭西の蝸牛 ( エスカルゴ ) の匂いがするね 」 と書いたが、それに倣って僕は書く。
君の部屋は芬蘭土 ( フィンランド ) の湖の匂いがするね
久し振りに立原道造の詩を読んだ。岩波文庫版 『 立原道造詩集 』 ( 杉浦明平編 ) から、詩 「 優しき歌 」 を引用する。
風は あちらの梢で
僕を招いてゐるが 僕は
ここを離れずにゐる
裸の眼にうつる青い空と白い雲と
僕は いまからは 明るい
太陽と光とばかりを
とらへようとおもふ
影のなかに ながいこと ひとりでゐたが
おまへを おもふと僕は
たしかに つよく 力にみちて来る
ここのせまい身のまはりが
こんなにひろく豊かになる
しかし それは飾られたのではない
僕らの心が 耐へて さうなるのだ
この冬の季節、長いこと雪に閉ざされていたがやっと太陽が戻って来たようだ。 「 青い空と白い雲 」 がこんなにも 「 せまい身のまはり 」 を 「 ひろく豊かに 」 するのを実感するのである。