油彩画

2016-10-30 | 日記

 

 

今日、玄関に飾る絵を入替えた。正面に掛かっていたマネの絵のポスターだったのを、熊谷登久平(1901-1968)の油彩画『ひなげし』(1953年作)に掛け替えた。それで玄関の空気が重厚になった(?)ような気がしたが、しかしこれは気のせい…。左の写真はフラッシュを焚かずに撮ったもので、右はフラッシュを焚いて撮ったもの。やっぱりポップ調な絵の方がよかったかな…、ま、でもまた飽きたら、掛け換えればいいのだ。当分はこの絵でいこうか……。

 


テーブル・ランプ “アトーロ”

2016-10-29 | 日記

       

イタリアの建築家・家具デザイナー、ヴィコ・マジストレッティ(1920-2006)のデザインになるテーブル・ランプ “アトーロ” である。表面に白い錆のようなものが浮いているが、ま、いいだろう。二階の部屋に置かれたこのランプはたいへんに存在感がある。点灯時はカサの部分が浮かんで見える。東京時代に品川のリサイクル・ショップで手に入れた。秋の夜長を豊かなものにしてくれるランプであり、日中には美しいオブジェでもある。実に“べっぴん”(別品)である。

 

 


夜の柿

2016-10-28 | 日記

       

これも隣からもらったもの。毎年、今時分にはこういう秋の味覚を頂けて嬉しい。この写真、草土社(大正時代、岸田劉生が中心となっていた美術グループで、油彩画の重厚なマチエールが特徴)風の静物画を彷彿とさせはしないだろうか、と思って掲載してみた。染付けの白磁の大皿か大鉢に盛られた果物(ここでは柿だが)! 劉生(1891-1929)はじめ、木村荘八、中川一政、椿貞雄、河野通勢がいた。劉生の生年をよく見ると、今年は生誕125年になる。改めて、『美の本体』を読んでみたいと思う。(そう言えば、マックス・エルンストも同じ1891年生まれだった。僕が最初に買った絵はエルンストの版画だった。学生時代、エルンストの絵が欲しかった!)

                 夜の柿沈々と冬が来る

 


滝口修造著『点』

2016-10-24 | 日記

       

久し振りに瀧口の本を読んでいる。掲載のこれは1963年に㈱みすず書房から出版されたもので、瀧口の主に時評、短評を収集した美術評論集である。表紙ではなく見開きの中扉を掲載したのは、矩形のベンガラ色に囲まれた「点」の文字と余白の全体のレイアウトのバランスがいいと思ったからである。そして、1961年10月31日の読売新聞に掲載された「パウル・クレー展の意義」という一章がある。その中の一部を書き写してみる。

まれな詩的ヴィジョンにめぐまれたクレーがいつも繰り返したのは「構成する、組み立てる」という言葉であった。その意味でクレーは単純な楽天的なロマンティストではなかった。また怪奇や夢そのものを描くのではない。自然や生活のなかのすべてのものに夢や「言葉」をあたえるのである。フランスの詩人ルネ・クレヴェルがいったように「魂のけものたち、知恵のある鳥たち、心をもった魚たち」を描いたのだ。そして人間には、世界苦とでもいったもののにじんだ恐怖やユーモアをもあたえている。