夜の句会
栃堀ダムの辺に 「 ニュー刈谷田ホテル 」 なる宿泊施設がある。今夜ここで 「 一枚文学 」 という文学の同好の士が集まるグループの句会に誘われた。テーブルの真ん中には、東京から参加された方の東京土産という 「 芋羊羹 」 が供された。漆黒の闇に包まれたホテルの一室の、芋と番茶をいただきながらの句会であった。歌仙は七人であった。僕の句会の必需品は 「 岩波国語辞典第四版 」 「平凡社版俳句歳時記 秋 」 「 ペンケース 」 「 メモ紙 」 だ。グループは句会を始める前にここで食事をされたが、大満足したという。僕は地元民として何となく嬉しい。遠方よりわざわざこんな山奥まで来ていただいているから、なおさらである。そしてなおさら句会も満たされたのだった。帰り、そぞろに肌寒くあったが、しかし良夜であった。
朝の、コンクリート製体育館の壁に当たる秋の低い日差し。左は、壁面に穿たれた三角窓が三つ並んで空気までも幾何学的にしている。右は、外部階段の斜線と円窓がやはり朝の光で陰を作っていて、一つのアブストラクトである。建築物であれ被写体の一部を切取るとモダンになり安いことがよく分かる。そこで、この建物ではコンクリート打放しの壁と屋根のカーブがシャープであった。
秋の日は天気がいいと、こんなにも気持ちが遠くまで行く。冬まであと何日、晴れの日があるのだろう。寒い冬がやって来る前に、しなければならないことが多くある。何からやっつけようか。まずはこの澄んだ秋の空の下、吾が心身を委ねようか。
この写真を撮った後、黄色いヘルメットのオッサンが原付バイクで走り去って行ったのは、人間社会の面白さを表していたように思った。なぜ黄色いヘルメットなのか、赤いでも白いでもいいものを、なぜ黄色なのか。この偶然のヘルメットの出会いは社会をとても面白くしていると思う。青い空は科学的に青いのだった。自然は理に適っていて、人は理から逸脱しているから面白いのである。遥かな快晴であった。