ランチタイムに柏崎市西山町の “ 舞待夢 ” に行って来た。玄関先にはレコードが箱にいっぱい詰まってあり、帰り際、好きなLPを貰ってきたのである。
葉室 麟 ( はむろ りん ) 著 『 柚子は九年で 』 ( 文春文庫 2014年3月刊 ) を読んだ。作家は1951年生まれで、2012年の直木賞作家である。掲載の写真とは関係ないけど、この随筆集の中に 「 柚子の花 」 という文章がある。桃や栗は三年、柿は八年で実になる、というのはよく言われるが、しかし続けて、柚子の花は、花になるまで九年かかるという俚諺がある、と言うのを作家は自身の小説のタイトルを探していて、この柚子のことを発見した、と書いている。そして文章の結びにこんなことを書く。
勝てないかもしれないが、逃げるわけにはいかない。できるのは 「 あきらめない 」 ということだけだ。人生に花を咲かせ、実を結ぶためのスタートを切るのに遅すぎるということはない。そう自分に言い聞かせる日々なのだが、はたして ― 。
実に平凡な言葉だと思うが、しかし書き続けて61歳にして直木賞を受賞した葉室氏の言葉には重みがある。そして思うに、平凡とは一体どういうことなんだろう ? また非凡とは ? 平凡であろうとする非凡さ。非凡であろうとする平凡 … 。
昨日の夕べの西の空。こういう空を見てると、思わず人の名前をつぶやきたい時がある。時間と空気の流れが眼の前を通って行き、僕はメロディーをのせてつぶやくのである。 「 シモオン シモオン … お前は夕暮れの匂いである 」 。
… … …
お前はよく熟れて摘みとられた果物の匂ひがする。
お前は花を一ぱいにつけた時の
柳と菩提樹の匂ひがする、
お前は蜂蜜の匂ひがする、
お前は牧場の中をさまよふ時の
人生の匂ひがする。
お前はいろごとの匂ひがする。
お前は火の匂ひがする。
シモオン、お前の毛の林の中に
大きな不思議がある。 ( ルミ・ド・グルモン詩 / 堀口大學訳 「 毛 」 より抜粋 )
前方に見えるのが守門岳で、頂上では、今しも雲が晴れそうな遠望である。桃色に染まった雲の色といい、雨後の夕方の空は何処までも深く澄んでいるのである。
人生の牧歌の中には、いつも哀愁があり、哀愁があるからこそ牧歌という光景が美しいのだろう、ということを思ったのでした。ニコラ・プーサンのタブローはそういうことを意識させる絵画ではなかったか …
アルカディアはこころの中の理想郷である、現実には叶えられないから理想なのである。そして牧歌とは、絵画の中でこそ叶えられるから牧歌なのである。ニコラ・プーサン ( 1594-1665 ) の絵画世界はこの叶えられない世界を表現して、哀愁がある。先日、ご自身が訳された本 ( ハリー・レヴィン著 / 若林節子訳 『 ルネッサンスにおける黄金時代の神話 』 ) を僕はお借りしたのだったが、その時の感想を書いたいつかの手紙の中の一節である。
2012年6月に集英社から出版された吉田秀和 選・訳・著 『 CD版 永遠の故郷 』 。CD5枚、訳詩集4冊、それにエッセイ1冊がついている。薄く透明なグラシン紙の帯に書かれている文字は、吉田秀和 ( 1913-2012 ) の言葉である。
限りなく優しく、絶望的なまでに懐かしい歌。
歌曲とは心の歌にほかならない。
私は歌の中に心を感じ、心を見、心を聴く。