buckling of column

2010-06-29 | 日記
このデッサンは5年前に描かれたもので “ COLUMNの時間に ” とタイトルしたのでした。当時、柱の設計をしていて、座屈計算のために書いたデッサンをいたずらに色を塗り、言葉を添えて見たのでした。そのデッサンのための言葉。

    比較的暑い太陽に 支配された室外の環境
    は人々をウンザリさせている
    座屈するのは極めて早いだろう。
    それをしない為にも 朝から冷たいティーを飲むのである。

「 室外の環境 」 については、専門書に 「 環境正義 」 という言葉をみました。ちょっと気になりましたのでこの絵の中にその定義文を書いています。つまり 「 環境正義 」 とは、
    
「 人に迷惑を掛けないという精神を第一とし、利潤を第二とする姿勢である。この正義を環境正義、あるいは環境的正義というのであるが、この精神を貫けば回り回って結局は自分の利益となることが証明されはじめたのである。環境正義の実行は結局は自分の為である 」
                   ( 高橋照男 『 建築決断のコスト 』 より )

ということです。僕は 「 正義 」 と言う言葉はあまり好まないのですが、でも紹介しておきます。


嬉しいブログ

2010-06-26 | 日記

知人の東京在住の美千代さんが、ブログ 「 ROMANTIST TASTE ― ぽげぽげ日記 ― 」 を書かれています。彼女はいつも笑顔のとても優しい方です、プロフィールはこの 「 日記 」 を見て下さい。

ところで、今日の 「 日記 」 に僕のことが書かれていましたので、紹介します。
   
    吉野さんの詩集は新潟で “ 幻のgallery artbookchair ” という
    ギャラリーをされている酒井さんにプレゼントしていただきました。
       http://blog.goo.ne.jp/artbookchair
    素敵な一冊です。大切に少しずつ読んでいます

「 吉野さん 」 とは吉野弘、 「 詩集 」 とは青土社1981年刊 『 吉野弘詩集 』 のこと。僕の好きな詩人の好きな詩集が、大切に読まれていることは、とても嬉しいことです。こんなに素直に喜びを書くのは少し気恥ずかしく思うのですが、でも喜びは率直に伝えたいですね。 ありがとうございます。


愛のはじまり

2010-06-22 | 日記
E.M.FORSTER ( 1879-1970 ) の小説 『 眺めのいい部屋 』 A Room with a View 。僕はこの英国の作家フォースターが好きで、その諧謔的な、または表と裏が一体となったような表現がたまらなくいいのです。「 表と裏が一体 」 とは、僕的 ( なんという流行語! ) には皮肉家のことだろうと思います。ところで表題の 「 愛のはじまり 」 について。

令嬢ルーシーが旅先のフィレンツェで、青年ジョージを意識する場面。 ( page 84-85 )

 「 ほんとうにどうもありがとう 」 と彼女は繰り返した。
 「 こんな事件って簡単に起こるものなのですね。でも人はすぐまたもと   の生活に戻るのでしょう 」
 「 僕は戻らない 」
当惑し、彼女は尋ねた。
ジョージ・エマースンの答えは謎めいていた。
 「 僕はたぶん生きたいのだと思う 」
 「 何でしょう? それはどういう意味ですか? エマースンさん 」
 「 僕はたぶん生きたいのだと思う、と言ったんです 」
欄干に肘を載せたルーシーは、アルノ川の面をしばし見遣った。
流れる水の音はいままで耳にしたことのない音楽のように聞こえた。

「 またもとの生活に戻る 」 ことはない出会いのシーンです。青年エマースンの 「 生きたいのだと思う 」 ことは、ルーシーという女性を愛した瞬間だった。「 生きたい 」 こととは、すなわち人を愛することだ。フォースターのなんと美しい表現だろう。

 僕はたぶん生きたいのだと思う。

                 ちくま文庫版 2001年9月10日第1刷発行 
                 訳者  西崎 憲 中島 朋子
                 発行所 株式会社 筑摩書房


ビーチの小石

2010-06-21 | 日記
北欧を旅してきた方からの贈り物です。

これはナプキンのデザインで、SWEDEN のレストランか何かのものだろうと思います。その真ん中にある小石は DENMARK のベルビュービーチで拾ってきたそうです。このビーチはアルネ・ヤコブセン ( 1902-1971 ) のデザインで有名です。いつか行ってみたいですね。

小石のおみやげ、遠い国のさざ波の音が聴こえてくるようです。素敵な贈り物でした。


豊饒の女神

2010-06-19 | 日記
アフリカの木彫。と言っても何処の国のものか不明です。写真に撮ってみると、普段見えなかった表情がよりリアルなものに見えてきます。ちょっとビックリです、こんな顔をしているとは、思っても見ませんでした。アメディオ・モディリアーニ ( 1884-1920 ) 描く顔そっくりですね。女神はなぜか悲しげだ。

   昔の夏にジュースをのんだ空きびん
   にガマズミの実とさとうを入れて
   きりぎりすの霊をまつる ( 西脇順三郎詩集 『 豊饒の女神 』より )

女神の悲しみがやわらぐよう、夏の百草をちょん切って来て、あなたの閨裡を愉します。折しもキリギリスの霊魂のような星の夜。

女神は一層悲しげだ。