二月の終わりに

2012-02-29 | 日記

          

              夕方5時頃の守門岳。今日は久し振りに空も晴れ渡った。

        

             二階から見る夕暮れの空。「夕暮ればかりがいつも美しい」

一日の中でこういう時間が一番大切な時であるような気がする。オフィシャルな時間から個人的時間へと世界は移動する。長い一日に傷つけられた見えない傷を、夕暮れの静かさが優しく祈りのように癒すのである。このトワイライト時間こそ個人の大切な秘密が成長する時でもある。凍る残雪に寂寥の影を踏む。

 


手紙 2

2012-02-28 | 日記

            

 『 立原道造全集 第五巻 書翰 』 ( 角川書店1973年刊 ) の白い表紙カバーに少々シミが出ていますが、澄み切った冬の夜空に星屑が見え隠れするようで…。 「 だれをも傷つけずに、ちひさな部屋と、雑草にへりどられた細い径とを持って、あたたかく生きてゐたいと、おもふのだ。 」 

 


手紙

2012-02-27 | 日記

角川書店1973年発行 『 立原道造全集 第五巻 書翰 』 より、昭和13年7月15日 ( 金 ) 深澤紅子宛書翰。

「 夕ぐれがもうくらくしはじめた窓のそばでこの手紙を書きはじめます。あかりはまだともしません。風が屋根屋根をこえて来て、僕の部屋に吹きいります。それはたいへんに涼しく、慰めのやうに僕の心をいたはります。僕の心はすこし傷ついてゐるやうなところもあるけれど、それらの傷を、それはやさしく撫でてゆきます。

花のお招きにたうとう伺ひませんでした。それから旅の先々でのいいおたより何度もありがたうございました。お伺いしようとおもひながら行かれずにゐる僕も、約束をやぶることでずゐぶん苦しみました。しかし、いろいろなことのために、たうとう何も出来ませんでした。果たされなかった約束は美しかつたと、いひたい気持ちもします。

いまたいへん紅い爽やかな夕雲が空にあります。それで僕の部屋までうすい紫がかつた光にかがやかされます。そして部屋のなかでは隅の方で低い声で、シューベルトの鱒といふ音楽をラジオがやつてゐます。あんなに紅い夕雲。そしてもつと淡く青い空の色。このやうなひとときに生きてゐることが、一切を拒絶してもなほ美しいのです。果されなかつた約束の悔恨さへも、あの移ろひやすい色あひの果敢なさは僕にとつて救ひとなります。 ( 以下略 ) 」

 果たされなかった約束ばかりが美しいし、淡く青い空の下では一切が美しいのである。夕暮れが世界を暗くし始める時、この果敢なさが立原の一つの救いなのであった。夕暮ればかりがいつも美しい。


TVで映画を見る

2012-02-26 | 日記

               

昨夜は少々眠かったけど、NHKBSで映画 『 モンタナの風に抱かれて 』 を放送していたので、つい最後まで見てしまった。ストーリーとは別に、大自然の中では都会的で知性的な女性というのは大変違和感があるものだ、と思って見ていた。しかしその違和感というのは、別な言葉で言えば 「 美しさが際立つ 」 ということでもある。都会的という意味は、洗練されたヴォーグのことであり、心の傷つき易さのことであり、人を好きになることにおいてピュアであることである。そのヒロインが、英国出身クリスティン・スコット・トーマス演ずる人妻アニーだった。ロバート・レッドフォード監督・主演、1998年制作。ただそれだけの感想である。


ルート17号

2012-02-25 | 日記

                             

湯沢パークホテルロビーの大きな暖炉。このロビーから隣接のスキー場がよく見える。暖炉の周りの作りつけのベンチに腰掛けて熱いブレンドコーヒーを飲む。

帰りの国道17号線、川口町辺りに差し掛かると道路脇には灯りが連なっていた、これがその写真です。車を降りて聞いて見ると、 「 雪洞火ほたる祭 」 ということでした。小さく掘られた雪の祠である。その中に蛍の灯りのような蝋燭の仄かな灯りは、遠くヨーロッパの古城の夜会のようでした。