今日も雪が暮れて行く

2017-12-27 | 日記

       

風の強い日だった。風の中、村の紙製の門松など「配り物」を配って回った。雪は今日は落ち着いて曇り空で、こんな日でさえ雪が降りさえしなければ、気分は少しはいい。北風でも、雪を連れてこなければ、いい天気である。そして、雪景色の夕暮れはなぜか寂しい。寂しい夕暮れには英国の詩人、ジョン・ウェイン (1925-1994) の詩を読む。

      「なぜ迷ってしまったのかしら?」恋人が言った。

      言いながら、身じろぎもせず眠ったままだった。ぼくは

      目覚めて、はるか遠く誇らしげな恋人の寝息をみつめていた。

      恋人の言葉のとどくところ、そこまでぼくはついていけなかった。

      恋人は、ぼくのすべてから遠くへだたった世界を夢見ていた。

      「なぜ迷ってしまったのかしら?」恋人はたずねているのではなかった。

                 (以下略)

二人は愛し合っているけれど、しかし深い眠りの中で、二人の間には越えがたい遠い距離があるのである。世界は男と女の世界である。夕暮れの雪景色の中にさえも男と女がいる。雪に埋もれた家々に明かりが灯るのは実にそうした世界である。フィクションである詩という文学は、実は現実世界をより鮮明にする。雪に埋もれた寂しさをフィクションによって慰め、またフィクションによって、雪の中の「暖かさ」を感じるのである。

 


一つの風景

2017-12-19 | 日記

     

先日終了したばかりの「コレクション展」の最終日の外観。今ではもうこの風景は失われている。しかしこの展覧会期間中には、僕の中に思い出としての「抽象画としての紅色の円」が描かれたのだった。その円は実際のキャンバスに定着されて僕の部屋に戻ってきたのである。忘れがたい思い出を詠む。

           雪の日に遠方より来たるフェアリーは残香清かに紅色の円

 


冬の月光

2017-12-18 | 日記

      

今日の午後から、昨日終了した展覧会の片付けをした。天気も良くて、作品が濡れずに済んでよかった。それに今日の天気で、雪もだいぶ融けてきたようだ。写真は自分の家の階段室にかかる照明で、レ・クリントという。折り鶴のように折られたプラスティック製の照明である。プラスティックなのに夜になると一段と映える。何事もなくて平穏な一日だった。

 


コレクション展14日目(最終日)

2017-12-17 | 日記

      

夜の帳に包まれたギャラリー。大きな窓ガラスに照明が映えて、夜のオブジェがその影を引きずって歩き出すようだ。そして、壁にかかるマックス・ノイマン ( ドイツ・1949 - ) の絵が一段と影の世界を濃くしているのである。今日は「コレクション展」は最終日だった。また新しい出会いがあって、有意義な展覧会であった。下の写真はもう20年くらい前に廃材で制作した僕の作品で「ミチオくん」と言うタイトルをつけた。もう20年も僕を見守っていてくれるのである。単に廃材だったものが、いつかの日から一種のヒューマニティを帯びるようになってきたのだった。アートは面白いですね!

      

展覧会期間中に訪問された方々にはとても感謝しています、この場を借りて「ミチオくん」からお礼を言います。

 


コレクション展13日目

2017-12-16 | 日記

    (撮影:外山文彦氏)

雪のある裏山の斜面を背景にして、ギャラリーの空間性がより際立っている午後の時間である。ギャラリーの広さはほぼ12畳くらいはあるだろうか、でも絵と向き合うには、このくらいの大きさの部屋がちょうどいいのである。狭さと言っていいのかも知れない。何も、絵を展示するには広いだけのものでもないからである。実に、いい具合の狭さである。そして、ここでの珈琲時間には更なるものがあるのである。というヒトリヨガリも楽しめるのだった。