菊花一輪

2019-07-27 | 日記

         

死んだ母のために白い菊を一輪、青い瓶に挿してその霊魂を祀る。一昨日は、四か月遅れの四十九日法要をしていただいて、やっと納骨の日を迎えたのだった。今まで、きっと母は死んだ気がしなかったに違いない、不肖の息子のやることに呆れていただろうから、母はきっと、死んでも死んだ気がしなかったに相違なかっただろう。仏壇の父の遺影に並べて、母の顔はほっとしているように見えるのだった。母は言う、ヤレヤレだよ。
菊を飾ったところは母の指定席だったが、今ではやっぱり、本の増殖に侵されてしまっている。母の嘆きが聞こえて来るようだ。しかし、これも仕方ないことである。従って、いつもこのテーブルの上には何かの花を飾ってやって、死人に口なしとは言うけれど、母の口封じをするのである。

ところで、写真の左下に写っている『風景の諷刺』(昭和14年刊) という本は割とレアな詩集である。吉原重雄 (1902-1936) は、(現)長岡市中之島に生まれて、慶応義塾大学に入りその後病を得て大学を去り、鎌倉・腰越の丘の家で、闘病二年の後死んだ。生前には詩集『難漕』(大正14年刊) を出版、また『ハーディ詩集』(昭和5年刊) を翻訳出版、没後には詩集『風景の諷刺』が出版されたのだった。野口米次郎 (1875-1947) が昭和14年のこの詩集に序文を書いている。野口は大学時代の吉原重雄の先生であった。

今彼の遺稿を読むに、特に晩年の作に、読むに堪へざるほど痛ましいもののあることを知り、病室の一角から人生を考へ、自然を把持した彼の態度は荘厳であつたとさへ感じる。吉原重雄は正直であつた、純粋であつた。彼は「ほたる」と題する詩に、破れた肺の蟇となつて静かに呼吸をつづけ、骨の棒切れを布団の外へ投げだし、手指の骨をその端に食ひいらせ、敷布の上に幽かにひかる一疋の蛍を眺めてゐる。また「河原」といふ詩に、彼は隣の部屋から聞える童謡に耳をそばだてながら、春の自然を想像してゐる。彼は虎杖や蕗が赤い芽を石の間から出して来るのを感じ、土筆が砂地を持ちあげるのを思ひ、そして彼はいふ

         『 やがて この河原は いちめん あをい雑草に おほはれてしまふ
          かたく 根を はりめぐらしてゐる 雑草の したかげから
          これらの つよい根を むつ むつ とたちきつて わたしは
                              ぴんと起きあがる

          となりの部屋の 童謡は きれぎれに つづいてゐる
          注射器を わたしはとりよせる 木つぱのやうに やせた腕に 
                              注射針
(はり)をつきたてる 』

ああ、若くして死んだ魂は痛ましい、…… 吉原君は春になつて、虎杖や蕗や土筆のやうに生気を盛りかへしたかつたのである。(以下略)

夕方、外に出てしばらくすると、雨がわずかに当たってきたから帰ろうとして遠くの山を見上げると、円弧のとても小さい虹が山の稜線をなぞるように出ていたのにはビックリもして、稀な虹だな、と感心もしてとても綺麗なのだった。そしてよく見ると、さらに大きな虹がうすくその小さな虹を包み込むようにしてかかっていたのである。しばらく見入っているといつの間に消えてしまった。雨ももう止んでいて、急に太陽が非常に熱く、僕の背に照り付けているのである。自然の現象との一瞬の遭遇である。

 


満月の夜

2019-07-17 | 日記

          

今夜は満月。こちらでは午後には驟雨があったが、夕方には青空が広がった。写真は午後10時半頃の月で、少しミストがかっているような感じがあるが、僕のいつもの2階の窓には明かりが射している。一時、部屋の電灯を消して、いにしえの自然風景を感じてみる。今夜の月の影はうすく、たんぼの用水の水音が闇の中に音響しているのが、やはり夏の余燼である。流れる水面に月光の片割れが流れて行くのが、これも聴覚ならぬ視覚する音楽といってもいい。今日一日のための鎮魂の水音と、地上に捨てられた月光のカケラ。そして、眠りのための闇がある。またこの闇は、夢を見るためには必要にして不可欠なものでもある。満月を満月たらしめるのもまたこの闇なのだった。もう時間も遅くなってしまった。明日がまたあるから、もうじき僕はこの豊かな闇を吸って眠るのである。

 

              


深更のあかり

2019-07-13 | 日記

          

そして深更に、佐藤春夫著『殉情詩集』を開く。僕のは復刻版のものでオリジナル版は1921年 (大正10年) に新潮社から発行されている。この詩集については以前、このブログに何か書いたような記憶があるが、どうも定かではない。それはそれとして、このブログに掲載する本の話は、これは僕の全き気まぐれに過ぎない。のだから、だから文章も「ムテカツ流」(ここでは自分勝手、という意味) であって、何でもないのである。ところでこの詩集の題名は「殉情」とあるが、この熟語は僕のいつも使っている『大字典』にも掲載されていない。佐藤春夫 (1892-1964) の造語かも知れない。誰かが、恋情かまたはわが愁いに殉じ、そしてその誰かが情に惑溺して死ぬことである。従って、情に殉ずるという『殉情詩集』ということは、これは思えば、29歳の詩人のとても強度なロマンチシズムである。ここに巻頭の詩「水邊月夜の歌」を書く。

                  せつなき戀をするゆゑに

                  月かげさむく身にぞ沁む。

                  もののあはれを知るゆゑに

                  水のひかりぞなげかるる。

                  身をうたかたとおもふとも

                  うたかたならじわが思ひ。

                  げにいやしかるわれながら

                  うれひは清し、君ゆゑに。

 詩を書き写してる内に氷水が融けてしまって、冷たい水を飲んで短い夏の夜をしみじみしようと思っていたが、ぬるいコップ水ではしみじみできないのだった。詩人の嘆きはやはり夏の夜ではなくて、さやかな秋の夜に読むのがいいのかも知れない。

 


雨雲の低き夕暮れ

2019-07-12 | 日記

           

西の空が明るい、遠く長岡市街地を見ている。夕陽もまだ沈んではいないので、何となく明るい。しかし天気がいい日の時の夕暮れよりは、明るくてもやはり雨雲の低い夕暮れ時の空には、暗い影が濃く着いて回っている。路肩に車を止めて、しばらくの間佇んでいると、薄闇が近づいて来て「ここでは暮らせません」と、今は過去になってしまった夕雲の流れが今宵また、現在を流れ続けている。そういえば、玄関の花瓶に活けた庭のドクダミの花も、もうグッタリしている時分だろう。そして、何もこれらの事象が僕の一日を象徴しているわけでも何でもないが、思えば思うほどに一日の出来事は、また全ての事が過去になって行くことが、人は時間から脱却できないということを思い知らされるのである。従って、時間の渦中にあるものは時間の外からわが身を傍観できないのである。夕雲の流れは時間の流れであり、人生の経過であって、ただひたすらな一日が過ぎて行くばかりである。僕の救いもまたこの一日の中にしかないことは、それは自明なこと。

                 ただよへる海路(かいろ)に疲れ灯台のひかり見出でつ君に往く時

                            『 山川登美子歌集 』(岩波文庫版) より

 


歌の楽しみ

2019-07-08 | 日記

          

月曜日の、夜の楽しみの一つは午後7時から始まるこの歌番組である。上記写真はTVの画面を撮ったもので、カメラはバカチョンで、腕もバカチョンなので、こういう写真になったのだったが、いつ聴いてても、この番組の歌は楽しいのである。ということで、『あの素晴しい愛をもう一度』を整列して歌っている歌手たちの姿勢に、詩と音楽が実在している!のである。昔聴いた記憶がここに改めて、僕の中に実在していることに驚くのである。従って、僕の過去が僕の現在であることを実感するのだった。コンサートの演出の廉直性と整然性は僕をして、人生には哀愁というものの必然性と不可欠性を思わせる。『あの素晴しい愛をもう一度』のフレーズに、

              広い荒野にぽつんといるようで 

              涙が知らずにあふれてくるのさ

という詩が出てくるが、実際にそれはそうであって、わが身を愛しく思うのが人というものだろう、と思う。月曜日の午後7時から一時間、僕はTVの前で自分のドキュメントと向き合う。