マイ・スキップ7月号 連載「パブリック・アート❽」

2017-06-29 | 日記

     

先月号からまた「パブリック・アート」の連載をスタートさせていただいた。いつものことながら、何を書こうか締め切り近くならないとどうも案が出てこないのだ。それでも市内には気になる何かが存在しているから面白いのである。読みやすいように、掲載した記事を下記に書いておく。

今回は初めて企業のアートを取り上げて見ようと思う。今まで掲載したものとは少し性格が違うと思われるが、パブリック・アートなるものが公衆の目につき、これがあることによって街並みの景観に面白さとダイナミズムを付加するという意味ならば、この建物の外観を含めたファサードのモニュメントは実にユニークなそれであると言っていいのである。社員の方に聞けば、このヨーロッパ的モニュメント並びに社屋外壁の装飾レリーフは、会社が土木・建築業を主な生業とするからか、社員たちがデザインし製作したものであるという。蔦が青々と外壁を覆い尽くしている。長岡市内中心部から北の方角へ向かって15分ほど車を走らせると宝町はある。会社のある辺り一帯は多くの企業があるが、しかしそれらの建物はほとんどが低くて、もちろんコンビニもあり新旧の住宅も畑地も混然しているが、街の景観は全体的に落ち着きがある。そんな街を車で走っていると、とても風変わりな、とでも言いたくなるような蔦に隠された建物が見えてくるのだった。車を止めて見れば、市内ではあまり見られないエキセントリックな風貌を持った建物だったのである。今の季節、外壁に沿ってピンク色のローズがここでは異国の情景である。街の景観をこの建物が牽引しているようだ。

一般に、街並みというのは個々の建物の寄り集まりで形成されてくるが、その街の中でも特に中心になる建物、又は、目立つ建造物のことをランドマークと言うが、この宝町界隈を通るとき、この会社のロケーションは実にランドマークと言っていいのである。

僕の思い付きで言えば、外観は英国のチューダー様式風な修道院を思わせ、正面にはアーチに囲まれたロマネスク的雰囲気の大きな聖杯のような植木の鉢がある。そしてその両側には狛犬を模したかのような猟犬がお座りをしている。右の犬は健康の女神サルース、左のは豊饒の女神ケレースを、恰も象徴的に配置しているとでも言うように。考えて見れば、個人住宅といえども既に建っている限り誰でもが目にすると言う意味で、パブリックなモニュメントに違いないのである。結果、都市の景観はその都市の全ての建造物で決定される。ダイエープロビス株式会社のファサード並びに社屋の景観はそういう意味でもアーバン・デザインというパブリック性を顕在させているのではないだろうか。

 


窓辺の花

2017-06-25 | 日記

      

咲いてはいたのだったが、今まで忘れていたドクダミの白い花を摘んで徳利に飾ってみる。今朝のことで、鈴蘭の群生の中に気づかないままドクダミの花が咲いていたのだった。今朝は未だ雨も降ってはいなかったが、午後には雨も久し振りに、一時どしゃ降りに降った。

 


『 … ひとりも美しい 』

2017-06-24 | 日記

       

先回のブログに書いた本、楠目ちづ著『花のように生きれば、ひとりも美しい』が先日手に入った。知りたいと思っていた夭折の画家・楠目成照のことが少しではあったが、触れていた。この本は華道家・楠目ちづ (1913-2010) としての著書なので、作品である生け花の写真がほとんどで、本の編集としては、見開きの左ページに花の写真、右にアフォリズムのような短い文章が添えてある。それで最終ページに近いところに次兄である画家のことを書いている。やはり短文なのでその全文を備忘録として書いておこうと思う。

上から2番目の、年の離れた兄は画学生でした。20代半ばで、肺病で亡くなってしまったのですが、音楽的な才能ももち合わせており、私は多くの教養を与えてもらい、とりわけピアノを専門的に習った時期もありました。兄は「女の子は音楽と美術をやっていれば大丈夫」と言うことがありました。私は兄のことを尊敬していましたから、子どもながらに、兄の言っていることはほんとうだと信じていました。兄の教えを受け、音楽に夢中になっていた私が、こうして花をお教えしているとは本人もまさか思わないでしょうね。それは働かなければならず、生きる道として選んだから。でもきっと、この世に生きている魂があるとしたら、兄はとても喜んでくれていると思います。

他には画家に触れている文章はなかったが、しかし写真と文章とが一体となって “美しい” 本になっていると思う。幾つかその文章を書いておく。

仏さまにお花を供える、ということがいけばなの始まり。仏さまに花を供えるのも、テーブルに花を飾るのも、花のある空間をつくるという美的な意味では同じです。

私は病気をして独身で、8人きょうだいの中でも不幸だったから、美的感覚を使って勉強して悩んで、いけばなが自分のものになりました。だから不幸だったことも、幸せなことのひとつなのだと思っています。

何を美しいと思うか、それはもうその人の感性です。たとえば美しい風景を写真に撮ることはできます。でも美しさを見る力がなければ、ほんとうの美しさは表現できません。

 


シルエットまたは 夭折の画家・楠目成照

2017-06-19 | 日記

       

昼下がりの時間。部屋の中に居て外光を感じる時、室内は暗い方がより外の光が鮮明になる。ブラインドを調整して室内を少し暗くしてみる。光と影のコントラストで、手前のオブジェに静謐感が出たようだが、どうだろう。そしてまた、古い『美術手帖』を開く。

ここに高畠達四郎 (1895-1976) のエッセイ「楠目とペーラシェーズ」が掲載されていて、寡聞にして僕の今までに聞いたこともない楠目成照 (くすめしげてる) という画家の話が書かれている。佐伯祐三 (1898-1928) と東京美校の同期の画家である、という。楠目はピエール・ボナール(1867-1947)を大変尊敬していたという。音楽好きで頭もよくパリへの情熱は焔の如くで、しかし結核で客死し、かのショパンも眠るペーラシェーズ墓地の土になった、とある。生没年は不明のようだ。そこでネットで検索して見たのだが、はっきりしたことは分からなかった。しかし、ここに興味ある本が紹介されていたのは幸いだった。その本は楠目の妹さんで、華道家の楠目ちづさんという方が書いた『花のように生きれば、ひとりも美しい』という本である。一節には次兄である楠目のことも書かれている、ということである。早速ネット書店で検索をかけよう。でもタイトルを見ただけでも、楠目のことに関係なく面白そうな本だと思う。

 


H.M.のデッサン

2017-06-17 | 日記

         

1949年の『美術手帖』(№13 昭和24年1月1日発行) は当時60円。特集は「PARIS」。掲載の絵は特集からアンリ・マチス (1869-1954) のデッサン。他にマチス、ピカソ (1881-1973) 、ブラック (1882-1963) のタブローがカラーで掲載されている。またル・コルビュジエ (1887-1965) の「未来のパリ」という新しいパリ建設を構想する計画図も掲載されている。記事はパリ在住の日本人画家たちの現地報告が大半で、労働者やカフェ、画廊などもリアルタイムで紹介されているのも大変興味深いものだ。岡鹿之助 (1898-1978) の現地レポートが掲載されているので、ここに一部引用しておく。

秋には珍しい暖かい陽ざしが風のない窓外の中庭一杯にあふれている。朝の仕事を終えたらふらふらと画商街のラ・ポエシイ通りへ足が向いた。ローザンベエル画廊ではブラック近作の個展が始まったばかり。数点の静物画を一つずつ眺めてゆく中に、その秀でた叡智と高雅な感覚に次第に打たれる。会場でアンドレ・サルモンに逢う。(中略) 近くのベルネム画廊にゆく。ボナァルの近作八十号にぶつかってドキンとした。一作毎に朱と黄金色とが輝きを増して、交響する色の喜びが麗朗に画面にはずんでいる。そのはずみが見る人の心に幸福感のはずみをつけて拡がってゆく。眺めている人々の顔は明るく、微笑さえ浮ぶ。ボナァルの絵画は人間の憂苦を暫くでも忘れさせるかの様だ。(以下略)

そして、このマチスのデッサンもなんと品性があるのだろう。こういう絵に向き合うと僕は幸福になる。