田んぼの岸辺にたって

2015-05-26 | 日記

      

田植えされた田んぼの水面に映る、五月の終わりが近づく残照。何事もなく、また一日が過ぎてゆく。しかし、何事かあっての人生の一日である。こうして人の生もまた一刻一刻に残照してゆく。土手に出てみるとオランウータンが落ちる夕陽に背を向けて、蟹股で歩いている!というのは思い過ごしだった。実際は、僕の村の村長のようであった。そこで下の花は、母が丹精した花である。

       

 

 


パン屋のレストラン

2015-05-25 | 日記

       

昨年オープンしたパン屋さんのイタリアン食堂。左の建物がパン屋で、廊下で繋がっている。休日の朝食はこの店の食パンで摂る。トーストにする時のパンの匂いがリラックスする。それに淹れたての珈琲の香りが加わって一段と休日の朝である。このところ天気が続いて、早朝の風に乗って新緑の空気が満ちて来るのは、これは何よりのご馳走である。田舎の暮らしは風の住処であり僕の住処でもある。また夜ともなれば、夜のせせらぎの音は静寂の世界そのものである。ここでは僕の老母である原住民は登場しない方がいい、出てくると静寂が瓦解し、抒情を述べることが困難になって、独りの世界に埋没でき難いのである。洗髪に櫛を入れながら思うのは 「 キミは何を考えてるの? 」 夜の無聊に一杯のサイダーを注ぐ時、マダム・ナイチンゲールの美貌が弾ける。「 藪の高い木に咲いた紫の花も見えなくなってしまった、五月はやるせない月だ 」

 


夕暮れと焚火

2015-05-24 | 日記

     

     

昨夜は東山の牧場近くのキャンプ場で「焚火を囲んで話す」の集まりで、久し振りで焚火をしたのだった。九人の集まりだったが、夕焼けも消えた静かな闇の中で、焚火の火勢だけがパチパチ音を立てていた。火の周りをベンチで囲んで、ジッと火を見つめている僕以外の若き男女 。時たま梟のような鳴き声がする。 “ ASAHI ノンアルコール ” の空いたアルミ缶が次第に増えて行くのである。家まで遠い僕はもう九時半頃には辞してしまった。帰りの車中、「 人生、焦ることはないな 」 と思う。燃やすものがあったら、ゆっくり燃やしてみようか … 。

 


マリーゴールド遠景

2015-05-23 | 日記

   

三週間振りの久々のブログになってしまった。読者の皆さんにはたいへんご心配をおかけしたようです。が、書かなかった理由は他でもなく、最近絵を描いたりして、また本を読む時間も惜しんだり、その他、でも考えて見ると、ブログを書く意味にも個人的な疑念があったりして、ま、僕のいい加減さによってブランクしていたのである。

そこで、今日は気持ちのいい風景を撮ったので見ていただきたい。この場所は栃尾の比礼という集落で、とても見晴らしがいい。正面には未だ残雪をいただく守門岳が雄大である。この集落のさらに崖のような斜面に、件(くだん)の田中工務店がクライアントの求めに応えて家を建てたのである。今朝、田中氏ご夫妻に案内していただいたが、実に素晴らしいロケーションである。来る6月6日(土)、7日(日)にはこの家を公開しイベントを企画しているという。崖に建つ家なので施工と価格で相当の困難があったそうで、だから一層の工夫とアイデアを掻き立てられたということだった。ぜひ当日には見学して見てはいかがだろう。公開時間は9時から17時まで。下の写真は急斜面に完成した家の全景。今回のイベントのタイトルは 「 緑にぬれて暮らす 」 と言うのである。

   

 


もう五月になった …

2015-05-02 | 日記

            

また、D.H.ロレンス ( 1885-1930 ) の 『 チャタレー夫人の恋人 』 を読んで見たくなった。それで今度は光文社古典新訳文庫で読もうと思って、市内の大型書店まで行ったら、ちょうど在庫していたのである。1968年生れの木村政則という英米文学翻訳者の訳である。第一章の冒頭である。

現代はまさに悲劇の時代である。だから時代に絶望だけはするまい。先の大戦であらゆるものが破壊され、あとには瓦礫だけが残された。これからまた安住の地を築き、ささやかな希望を育むことになる。根気のいる作業だ。いまや未来への道筋は険しく、まわり道をしながら、あるいは行く手を阻む難関を乗り越えながら進まねばならないのだから。いくたび災禍に見舞われようとも、そうやって人は生きていく。

この小説が書かれた1928年は、ロレンスが結核で亡くなる2年前のことだった。また 「 先の大戦 」 というのは第一次世界大戦 ( 1914-1918 ) のことである。従って、ここで言う 「 現代 」 は、まだ戦禍が残る英国の田舎である。