童画家

2010-03-31 | 日記
1999年7月24日から9月26日まで栃尾市美術館で開催された 『 風間四郎の世界 』 展のカタログです。
柔らかな赤い背景に、円らな瞳が印象的なパステル画です。生まれたての人間はみんなこういう表情を持っていたんだろうな…。全てに丸みがあって、全てが柔和で、まなこに光を持つ。

僕のふるさとがここにあって、あなたのふるさともここにある…。サブタイトルに 「 ふるさとの生んだ童画家 」 とあるけど、僕は 「 ふるさとを生んだ童画家 」 と言い換える。

風間四郎 ( 1902-1992 ) はここ栃尾に生まれ、商業美術家として活躍し、のち主に子供向け雑誌の挿画や表紙絵を多く描いた。また昭和初期に制作されたポスターを見ると、一人のモダンボーイを思わずにはいられない。どんな時代にあっても決して古びないスタイルこそ “ MODERN ” 。


ハッパはリボンのデコポン

2010-03-30 | 日記
到来物の紀州和歌山県産柑橘・デコポン。葉っぱ付きのフォルムがとてもユーモラスでフクヨカで、色彩的にも補完性があります。背景は、今朝の季節はずれの雪が残る、遠方の山々。 ATMOSPHERE にシュール感があるか?どうか。味は勿論美味にして、表皮に芳香あり。汝、あせるな。

スイスの静謐な現代建築家 PETER ZUMTHOR ( 1943生 ) の言葉に、至って感銘しています。
 「設計とは、理性と感性の絶え間ない相互作用だといえます、理論によ
 って生み出されたものが正しいかどうかを教えてくれるのは、自分自身
 の感性でしかないのです。頭で考える前に脳で感じる ― その場の
 “ 空気感 atmosphere ”とでもいうべきものを最も適切にクリエイトする
 こと。それが私の職能であって、それ以下でも以上でもない。」
 ( 『 芸術新潮 』 2008年12月号より引用 )

きのうの雪の朝

2010-03-28 | 日記
これも昨日の朝。午前7時30分ころの山間風景。青と白の清清しさ。この風景のどこかに狸や狐や野ウサギなんかが棲息しているんだろうか。

 有と無の間を
 歩いているものは何を考えているのか
 金銅の裸の存在をみるためでもない
 単に旅人の失われた夢の指環でもない
 直線を避けるためである
 四月にはシデザクラとミツバツツジが
 岩の間に咲いている
 盆地の山々は
 もう失われた庭だ
 失う希望もない
 失う空間も時間もない
( 筑摩書房版 『 定本西脇順三郎全詩集 』 から 「 失われた時 」 抜粋 )

春の雪にてそうろう

2010-03-27 | 日記
今朝は春の雪景輝きて候。夜来の雪略二寸ばかり積りて、寒き朝なり。しかあれど晴天の空気実に澄明なり。 

 「 さてもさむき春にて御座候。いかが御暮被成候や、
   御ゆかしく奉存候。 」

これは与謝蕪村 ( 1716-1783 ) の消息の一部。

 故郷春深し行き行きて又行き行く
 君と生きながら別離す ( 蕪村 「 春風馬堤曲 」 、『 文選 』 より引用)

今回の写真はなぜか見ようによって 「 別離 」 の情景を思わせます。田んぼの雪解けです。

あますぎなくて 

2010-03-24 | 日記
今夜の珈琲には 「 甘すぎなくて うますぎる 」 LOTTE ALMOND CHOCOLATE 3粒。このパッケージの裏面に 「 アーモンド研究会 」 になる “ 研究レポートその④ ” が掲載されています。タイトルは 「 幸せのシンボル 」 。

「 アーモンドは古くから幸福のシンボルとしての役割を果たしています。古代ローマ人は、子宝に恵まれるおまじないとして新婚夫婦をアーモンドシャワーで祝ったといいます。今日のアメリカでも結婚式のゲストに幸福、健康、愛や幸運を願って、砂糖でコーティングしたアーモンドをプレゼントします。またヨーロッパではクリスマスや新年のお菓子にアーモンドを1粒隠し入れて幸運を占う習慣があります。 」

古代ローマですか、紀元前の結構な古さです。それにしてもこういうお話も「うますぎ」ますね。ところで日本では何かないの ? ①から③の研究も見てみたいですね。アーモンド、日本名は巴旦杏。バラ科。