雪が吹き込んでくる玄関先の写真。気温も低いので外壁には雪がへばりついて凍結している。籠り居の日になった。今橋映子著『異都憧憬 日本人のパリ』(柏書房 1993年刊)を読む。本書は「文学あるいは芸術作品を具体的に検討することを通じて、19世紀以来のパリが、日本人にとって何を意味したのか、そしてさらに異文化理解という問題に関して、近代日本人が一体何を語ってきたのか、それを明らかにしようとする試みである」と言う。岩村透、永井荷風、高村光太郎、島崎藤村、金子光晴について論考している。序章として書かれた、19世紀パリの「ボヘミアン生活の成立」の論文が興味を引く。著者はジェロルド・セイゲル著『ボヘミアン・パリ—文化、政治、そしてブルジョア生活の境界、1830-1930』(1986年)というボヘミアン・パリについての社会学的観点からの研究論文を引用しながら次のように書く。
19世紀パリのボヘミアン生活は、従来私たちがイメージしているような、ブルジョワ社会への全くの対立項としてあらわれてくるのではない。それをよく表しているのがミュルジェーヌの「公式のボヘミアン」という概念である。富やブルジョア生活の安楽を拒否しながらも、それを求めていくというパラドックスは、ボヘミアンの生活のアンビヴァランスとしてとらえるべきなのである。そして富や安楽は、勤勉と節約から得られるという中級ブルジョワのモラルはまた、そうした階級出身の若者たちが社会の誘惑、退廃をのがれて独自の生活を営み、芸術に真摯な情熱を傾けるという姿勢につながる。また上流ブルジョワの子弟は、社会の硬直性を批判し、自己啓発、自由の獲得を求める時、両親の価値観を捨て去るのではなく、一時的な放免(モラトリアム)の状態に身をおく — つまりミュルジェーヌの言う「アマチュアのボヘミアン生活」を送る。彼らは自らのアイデンティティを求めるために、マージナルなライフ・スタイルを流用し、そうすることによって社会の矛盾点をあばき出す位置に立とうとする。しかし彼らはいずれそうしたブルジョワ社会に帰ることをはじめから承知しているのである。つまり、「ラ・ボエーム」とは、19世紀パリに明確に成立したブルジョワ社会から生ずる矛盾の表現そのものなのだといえよう。そしてミュルジェーヌの造形した芸術家たちは、ブルジョワ社会において成熟したアイデンティティに到達するための葛藤がいかに深いものであるかを、「放縦」と「理想主義」という二つのパースペクティヴを融合させることで示している。19世紀芸術家たちにとって安易な富の獲得と誠実な貧困、あるいは成功への欲望とそれへのおそれというディレンマは、その生涯自体の最も深い問題であった。〈ボヘミアン生活〉をめぐる文学を、ここでボヘミアン文学と呼ぶことができるなら、19世紀ボヘミアン文学の本質的な問題、それこそが〈芸術家と社会〉というまさしく近代的な問いかけだったのである。
ここで、ミュルジェーヌというのはアンリ・ミュルジェーヌという1822年パリ生まれの画家、作家で自身ボヘミアンだった。代表的小説に『ボヘミアン生活の情景』、『コルセール・サタン』(海賊・魔王)がある、という。1861年、施療院(貧民病院)で死んだ。彼は自分たちの芸術家グループを「水飲み仲間」と称した。すなわち、ビッソン兄弟(写真家)、デブロッス兄弟(兄・ジョセフは彫刻家、弟・レオポルは画家)、アントワーヌ・シャントルイユ(風景画家)、レオポル・タバール(歴史画家)、ウージェーヌ・ヴィラン(風俗画家)、レオン・ノエル(詩人)、アドリアン・ルリウ(詩人)の面々。しかし彼らの作品は日本でも見られるだろうか。また翻訳書でもあるかな…、読んで見たいものである。ボヘミアンとは、外面は「放縦」でも、しかし内面は芸術の「理想」を求道するのである。