月の夜に

2012-10-31 | 日記

『 小川水明歌集 』 ( 平成9年 短歌新聞社刊 ) より 水明の歌一首。

     光にも何か刺さるるもののあり生あるものは哀れなるかな

水明は明治25年 ( 1892年 ) に今の新潟県長岡市小国町に生まれ、 「 渋海川という流れに沿うた茅葺の家に淋しく育てられた 」 という。 若山牧水に認められ、生涯を通して師と仰いだ。また治安維持法違反により逮捕起訴される。昭和15年 ( 1940年 ) 千葉県市川市にて死去。

今夜もいい月が出ているが、もう10月も今日で終わりである。本当に光陰は早いものである。しかし天体は悠然としている。人間も大きくいって天体の一部とすれば、もっと悠然としていてもいいのにナ … 。 しかし、僕らは 「 哀れなるかな 」 「 生あるもの 」 にして … 。

 


モンドリアン再び

2012-10-30 | 日記

                   

また久し振りに、モンドリアン ( 1872-1944 ) の作品集 ( 2005年・TASCHEN社刊 ) をひっぱり出す。掲載写真のこの頃 ( 1920-30年代 ) の作品が、まあ、個人的に好きな作品である。秋雨の降る夜には、抽象絵画 ( モンドリアンは1920年、芸術論 『 新造形主義 』 を発表した ) のドライな世界に浸るのも悪くはない。形象をただ形象として、色彩をただ色彩として見る。そして調和、旋律、律動の眼で見る音楽である。

モンドリアンは独創的な絵画、ピカソでもない新しい絵画・抽象絵画を発見したが、それは意識的に創ろうと思ってもできるものではない。以前、内田義彦 ( 経済学者 1913-1989 ) の対談集 『 形の発見 』 ( 藤原書店・1992年刊 ) という本で丸山眞男 ( 政治学者 1914-1996 ) が話していたことを思い出す。ベートーベンの個性ということについての話で、ドイツの法哲学者グスタフ・ラートブルフ ( 1878-1945 ) の言葉を紹介して 「 民族の個性というものは、人格の個性と同じように追求の目標にするものでもなく、民族的個性を追求することによって民族的個性が獲得されるのではない 」 と言うのである。普遍的な課題をわれを忘れて追求することによって、ベートーベンは図らずもドイツ的になったのであり、われを忘れて普遍的課題に身を捧げた時、初めてそこに神からの賜物としての個性が刻印されたのだ、と言う。丸山先生は 「 人格的個性にしてもラートブルフはそうだと言うんだ。個性を追求したから個性的になるんじゃない、何かの仕事にわれを忘れて精進したときに、いわば背中に、賜物としてその人の個性が刻まれると言うんだよ。 」 

モンドリアンの初期からの作品を見ていると、自然の流れでこの抽象絵画が生れてきたように思う。正に、神からの贈り物のように、 「 賜物 」 のように。そして 「 自然の流れ 」 とは人生のあらゆる艱難も含めてのことである。 「 何かの仕事にわれを忘れて精進した 」 モンドリアンであったのであろう。今年、生誕140年。

 


昨日の十三夜と 『 荷風随筆集 』

2012-10-28 | 日記

           

          「 舞待夢 」 から見た月            薄雲のかかる石地海岸の月

昨夜は綺麗な十三夜で、二日続きの 「 舞待夢 」 であった。静かに見る月はまた一入 ( ひとしお ) で、閑寂な清夜であった。帰り、少し遠回りして石地海岸まで出て海の月を見るに、薄い雲がかかり月の周りに大きなリングができているのが印象的だった。明かりが二つ、暗い海に浮んでいた。

        

                夜の海景 ( 海なのか分らないけど、これは夜の海 )

以上は昨日のことで、今日は曇り・雨の一日で、一日がゆっくり過ぎて行った。炬燵を出し、絵を架け替え、掃除をし、食糧を買いに行き、ランチは地元の畳敷きのラーメン屋に行き、ラーメンを喰った後、横になってしばらく 『 荷風随筆集 ( 下 ) 』 ( 岩波文庫版 ) を読む。帰宅してからも続きを読む。その中に 「 浮世絵の鑑賞 」 という一文がある。

「 秋の雨しとしとと降りそそぎて、虫の音 ( ね ) 次第に消え行く郊外の侘住居 ( わびずまい ) に、倦みつかれたる昼下り、尋ね来 ( きた ) る友もなきまま、独り窃 ( ひそか ) に浮世絵取出して眺むれば、ああ、春章写楽豊国は江戸盛時の演劇を眼前に髣髴 ( ほうふつ ) たらしめ、歌麿栄之は不夜城の歓楽に人を誘 ( いざな ) ひ、北斎広重は閑雅なる市中の風景に遊ばしむ。余はこれに依つて自ら慰むる処なしとせざるなり。」 と、書く。

また日本の風土と浮世絵が如何に切り離せないものかを、切々と次のように述べるのである。 「 歌麿と北斎とは今日の油絵よりも遥によく余の感覚に向つて日本の婦女と日本風景の含有する秘密を語るが故に、余はその以上の新しき天才の制作に接するまで、容易に江戸の美術家を忘るること能はずといふのみ。日本都市の外観と社会の風俗人情は遠からずして全く変ずべし。痛ましくも米国化すべし。浅間 ( あさま ) しくも独逸化すべし。然れども日本の気候と天象と草木とは黒潮の流れにひたされる火山質の島嶼 ( とうしょ ) の存するかぎり、永遠に初夏晩秋の夕陽 ( せきよう ) は猩々緋 ( しょうじょうひ ) の如く赤かるべし。永遠に中秋月夜の山水は藍の如く青かるべし。椿と紅梅の花に降る春の雪はまた永遠に友禅模様の染色 ( そめいろ ) の如く絢爛たるべし。婦女の頭髪は焼鏝 ( やきごて ) をもて殊更に縮さざる限り、永遠に水櫛 ( みずくし ) の鬢 ( びん ) の美しさを誇るに適すべし。然らば浮世絵は永遠に日本なる太平洋上の島嶼に生るるものの感情に対して必ず親密なる私語 ( ささやき ) を伝ふる処あるべきなり。浮世絵の生命は実に日本の風土と共に永劫なるべし。 … 」 と。大正2年 ( 1913 ) に書かれたエッセーである。荷風34歳。

 


… 月涼し

2012-10-25 | 日記

             海にすむ魚 ( うお ) の如 ( ごと ) 身を月涼し

これは榎本星布女 ( えのもとせいふじょ 1732-1814 ) という江戸時代の俳人の作である。芳賀徹がその著、 『 詩歌の森 』 ( 中公新書 2002年刊 ) で紹介している。少し引用する。 「 江戸にはすでにこんな女性シュールレアリストもいた 」 と芳賀先生は書いている。そして 「 物語が生れかける寸前のある体験された一瞬を伝えていて実に美しい。空に、浜に、海の上に、いちめんに青くひろがる月の光のなかにいて、わが身は 「 海にすむ魚 」 のように青白く透きとおってゆくという。海と月とわが身、幻想と現実が 「 如 」 の一字で浸透しあって一つになる。 」 と書く。

このセンテンスの冒頭にフランスの詩人イヴ・ボヌフォワが正岡子規国際俳句大賞受賞記念講演 「 俳句と短詩型とフランス詩人たち 」 ( 2001年 ) で語った言葉を紹介している。すなわち短詩型の機能とは 「 詩的体験そのもの、詩以外ではありえないような特有な体験へとわが身を開く能力を増大させること 」 である。

わが身は魚であり、月であり、海であり、一人の生きている人間の可能性としてのメタモルフォゼスである。詩は、魚を生き、月光を生きている。詩は悠久の海を漂い、また時の瞬間に消滅するのである。

 


ススキと柿

2012-10-24 | 日記

      

      

風が強い曇り空に、ススキがなびいて柿の実も揺れていた。でも夕方には西の空は桃色に染まった。それにしてもこの柿は誰に食われるのだろう、それともいつかもうじき、熟して腐って落ちていくのか … 。しかしそれはどうでもいいことである、柿の木は季節が来れば毎年毎年実をつけるばかりなり。ただ柿の木に柿の実を実らせるばかりである。ススキも秋の風に揺れるばかりである。深更、茂吉の若き日の歌集を開く。

   ぬば玉の さ夜ふけにして 波の穂の 青く光れば 恋しきものを  ( 『 赤光 』 より )