初雪

2017-11-19 | 日記

       

今朝から雪が小止みなく降っている。先日からは近くの山なみは白くなったが、いよいよ里まで雪が降りてきた。遠くに、柿の木は葉っぱをみんな落して柿の実が赤い花のようにまだたくさんぶら下がっている。家の柿は全部もいで母が干し柿にして吊るしている。渋柿は置いておくと熟すので、僕はどちらかというと熟柿が好きなので、もいだ柿の83個を床の間に飾って熟すのを待っている。もういくつかは食べ頃になったので、食後のデザートには美味しいのである。干し柿ももうすぐ食べられるだろう。

窓から雪景色を見ていると、寒い風景だがしかし気持ちは落ち着いて、時間の流れが止まったようでもあるし、しかしまた時間がゆっくり暗くなってゆくのが、これが時間の姿かと思うのだ。現代人は忙しいと言うけれども、こういう土地で窓の光景と付き合えば、これはこれでアンチ現代である。ここでは現代はないのである。しかしここで暮らす人たちは現代人である。忙しいのである。午後三時を過ぎても雪はまだまだ降り続いている。

              此の里に生まれ育ちて幾歳月わが頭上にも雪は降り積む

 

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個展予定のお知らせ

2017-11-11 | 日記
             

           

12月2日(土)から17日(日)まで、S.H.S長岡店別館・LIS gallery (長岡市)で個展の開催予定で、写真はそのエントランスである。今回は僕自身の作品を多少含め、コレクションの中からオブジェを中心に展示しようと思う。S.H.Sはご存知のようにインテリアのセレクトショップで、長岡市内ではあまり見られない北欧の家具や照明が展示されていて、特に夜のショップの外観は灯りがウインドウに美しく映っている。今日もその下見に行って来た。通常の画廊と違って、展示雰囲気もデザイン性を重視したものになると思う。また、この LIS の店内には新刊書をセレクトした書店「ブックス長谷川」やオシャレな雑貨のお店も入っていて、日常空間にアートが溶け込んだ、暮らしの中にアートが共にある個展にしたいと思っている。そこで今回の個展のタイトルは、

                 紅旗征戎アートに暮らす

と名付けるのである。「紅旗征戎」とは、藤原定家 (1162-1241) の『明月記』(1180年から1235年の間に書かれた日記) に記された言葉で、「世上の乱逆・追討、耳に満つと雖もこれを注さず、こうきせいじゅう、吾が事にあらず」と言う。また「紅旗」とは天子 (朝廷) の旗のことで、源頼朝の反乱に際しての、朝敵を征伐するために派遣される追討軍のことである。つまり定家19歳の時に記した言葉で、世間に何が起こっても僕の関心はただ歌の道だけである、というのである。従って、今回のタイトルに定家の言葉を冠した理由は、自分の愛したものと暮らすことが生涯の幸福と言わねばならない、ということにある。アートを背景にもった暮らしは、物的に貧しくても僕の心が豊かになるのである。これはとても幸福なことであることが、ここまで生きてきて僕の最大な発見であった。聞いた話で、アフリカのある民族の男たちはファッションにその働いたお金の大半を使うそうである。写真でも見たことがあるが、素敵なスーツを着た黒人の男たちが得意そうに写っていたが靴もピカピカで、ハットも似合っていてダンディである。つまりお金はファッション (勿論、愛するひとへの思いも含めてのファッションである) 以外には使わないのである。そしてつまりは争いに使ったり武器を買ったりしないのである。ダンディズムを生きるのである。歌紅旗征戎、何事があってもアートに暮らす、と言う思いである。ぜひのご高覧を。

                紅旗征戎アートに暮らす 酒井実通男コレクション展

           会  場  LIS gallery [S.H.S長岡店・別館]

                 〒940-0825 長岡市高畑町660番地  TEL070ー2151ー0351

           会  期   2017.12.2 () -  12.17 () 水曜休

           営業時間  10:30-18:00 ( 土・日は19:00まで )

 

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『室内』

2017-11-09 | 日記

      

昭和48年5月1日発行の『室内 5月号』(㈱工作社)。発行者は作家の山本夏彦 (1915-2002) 。この表紙は有名なレッドアンドブルーチェアー。1917年にオランダの建築家・リートフェルトがデザインしたもので、今もイタリアのカッシーナ社から発売されている世界の名作椅子である。彼の作品集に掲載されていたこの椅子の図面で、僕も一脚製作して使っているが、座面も背板も木製なのにとても座り心地がいいのである。部屋に置いておくだけでも絵になるし、部屋の雰囲気も随分変わる。

 

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マイ・スキップ11月号 連載最終回

2017-11-05 | 日記

    

    

連載の “ パブリック・アート ” が今回の11月号で最終回となった。それで今回は僕の地元のものを取り上げた。像は以前から気になっていたのだった。連載は12回で最後だから、市内のアチコチの12か所のパブリック・アートなるものを紹介したことになるが、僕の守備範囲が割と狭かったので長岡市の広いエリアにはもっとたくさんのそれが存在しているに違いないから、また次回があるなら書いて見たいものである。それで今月号の記事は下記である。最終回だったので、手紙文で書いて見た。 

         パブリック・アート⓬   ▶ 「二人の少年の像」ブロンズ彫刻 長岡市栃尾大野町4丁目   

前略。先日はお手紙嬉しく読みました。お元気そうで何よりです。このところ朝晩の気温がとても下がってきましたね。でも、なんと言っても季節は“実りの秋”です。休日ともなれば、ここ国道351号線沿いの大野町には名物の “栃尾の油揚げ” 屋さんが数軒並んでいて市外ナンバーの車も交じって結構な賑わいを見せています。未だ紅葉には少し早いですが、隠れ里のような栃尾盆地にももうじききっと色とりどりに色付いた美しい山野 が見られるでしょう。 ところで同封の写真の二人の少年の像は、351号に時に交差し、時には直ぐ脇を平行に流れる一級河川、西谷川の右岸ほとりに立っています。ここに秋の川の流れは冷たく清く澄んでいます。しかし、雨の続く時には恐ろしいくらいの濁流となります。やはりここでも自然の営みというものが生命の躍動であることを僕らに教えるのです。車で通るたびに気にはなっていたのですが、地方活性化活動に関心を持つあなたのお手紙に、この少年の像のことを少し知ろうと思って役所の監理者に聞けば、平成五年の河川改修の際に設置されたのだそうです。また、上杉謙信が景虎と呼ばれていた少年時代をイメージして現代の少年の姿として制作したという、あまり定かではありませんがそういう説もあります、ということでした。しかし、どういう趣旨でそして誰の制作になるのかは既に資料がないので分からない、ということでした。天気のいい日に一時車を捨てて、西谷川や大野橋や背後の景虎ゆかりの栃尾城跡のある鶴城山をロケーションにしてこの少年像のある小さな広場の空気を吸い込むと、郷里というものが心と身体に染み入ってくるのが実感されるのでした。何の目的で設置されたのであろうとも、少年たちがここにあることによって、ここでも僕は故郷を吸い込むことができたのでした。

一通のあなたのお手紙がきっかけで、僕は、「 通り過ぎる 」ことを禁じたのでした。禁じたことによってささやかにも、僕は歴史の風の流れと文字通りの自然の風を感じることができたのです。そしてこの空気の中で、僕はある小説にあった言葉を思い出すのでした。「 ぼくもなにかひとつしたいのです。したいことがこころのなかにあるようにおもわれます。いのちのはかなさをおもえば、そのひとつのことにすべてのいのちをささげたいようにおもわれます 」。山深い栃尾ではこれから雪の季節を迎えますが、いつかぜひ特大な“栃尾の油揚げ”を 食べに来て下さい。お体ご自愛下さい。草々

 

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終わりかけの薔薇二輪

2017-11-04 | 日記

         

今朝は雨降りになった。雨の土曜日である。ドンヨリ模様の空の色と灰色の雲の厚さが世界を満たしている。今朝、小雨の中、花をもらいに隣の家に行った。「終わりかけの薔薇よ」と奥さんは言いながら伐ってくれた。「私みたいね」と言う。僕は何と言っていいのか困ってしまったが、「まあ、それもそうですね」と、わざと否定をしなかったのだった。「薔薇の棘はやっかいよ」と、そこそこに棘も鋏で伐ってくれたのは自称「終わりかけの女」の優しさだろうか。李朝箪笥の上に大正李朝白磁扁壷に差して飾って見る。花びらの紅の色が少し夕闇がかっているのである。これも初冬の色である。人にも薔薇にも時間は経過して行く。定家卿の歌一首。

            しづむ身はかへらぬ老の波なれば水行(ゆく)かはのすゑぞかなしき

 

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