朝の影

2020-01-12 | 日記

          

今朝も暖かいいい天気になった。まだブラインドを開けていない部屋の、ブラインドを透かして入る朝日を背景にして、いつか土の中から “ 発掘 ” した自転車のミイラ化したサドルがピカソのオブジェの影である。真冬の朝だというのに、光はもう春の田園の光である。
ボードレールの詩集『悪の華』の詩篇に「太陽」というのがあるが、その四連の中の後半部二連に下記のような節がある。

            

            松葉杖をつく老人を若返らせ

            少女のように快活に 優しくさせるのも、

            いつも花ひらくことを望む 不滅の心のなかに

            生長と成熟を 穀物に銘ずるのも 太陽である!

 

            詩人のように町へ降りて行くと、太陽は

            どんなにいやしいものの運命までも高貴にし、

            どこの施療病院のなかへも どこの宮殿のなかへも、

            従者もつれず しずしずと 王様のようにはいって行く。

 

朝の太陽は嬉しい。目覚めてトイレに行く時、廊下に光が射していると僕の一日が「薔薇の目覚め」になる。「心配ごと」が「空のかなたへ」行くようでもある。僕の寝ぼけの脳髄はミツバチの蜜に満たされるのである。
上の訳文は旺文社文庫版の佐藤朔訳『ボードレール詩集』(昭和47年初版)からのものであるが、ここに齋藤磯雄訳『限定版 ボオドレエル全詩集』(昭和54年 東京創元社刊)から、同じ個所の訳文を紹介しておく。

 

            松葉杖つく病人を若返らせて、太陽は、

            乙女のやうに華やかな優しい気持にしてくれる。

            また穀物に命令し、花咲くことをひた希(ねが)

            不滅の人の胸にこそ、ゆたかに茂り稔れといふ。

             

            詩人のやうに、太陽が、巷巷(ちまたちまた)に降り立てば、

            むげに卑しい物たちの運命さへも気高くし、

            ありとあらゆる施療院、ありとあらゆる宮殿に、

            従者も連れずしづしづと、王者のやうに進み入る。

 

 

    

 


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