収穫祭
もう、9月も今日が終わりになって、終わりの今日の日は雨が降った。で、隣の田圃もご覧の通り。収穫の後の “ 祭り ” である。稲の刈られた後はこの地方では、もう冬が来るのを待つだけである。用水路の流れも透明になって “ 秋水 ” になった。こんな小さな水路でも秋が速やかに流れて行く。芭蕉 ( 1644-1694 ) の句にこんなのがある。
( 人に米をもらふて ) よの中は 稲かる頃か 草の庵
また、18世紀の京都では、与謝蕪村 ( 1716-1784 ) がこんな句を作っている。
稲かれば 小草に秋の 日のあたる
都会の郊外を散策する蕪村の、アンニュイな雰囲気がいい。蕪村はボードレールに先駆けて都会の洗練と憂愁を歌った近代詩人ではないだろうか、と言ったのは比較文学の芳賀徹先生だった。芭蕉は江戸深川にその庵を結んでいたが、ここに掲載した句に限って蕪村のものと比べて見ると、江戸はまだまだ京都のような繊細な都会ではなかった。もっとも時代に70年の開きがあるけれども。そう見ると、この掲載写真は江戸時代の深川周辺の田圃のように見えなくもない?なんて、飛躍的想像でした。
ところで 「 収穫祭 」 といえば、かの西脇順三郎の初期の詩集に “ ambarvalia ” ( 1933年刊 ) というのがありますが、これはラテン語で、 “ 穀物祭 ” と言うそうです。春にその年の豊穣を祈るお祭りだそうです。詩集中の 「 ヴィーナス祭の前晩 」 の一節です。
「 明日は未だ愛さなかった人達をしても愛を知らしめよ、愛したものも明日は愛せよ。新しい春、歌の春、春は再生の世界。春は恋人が結び、小鳥も結ぶ。森は結婚の雨に髪を解く。明日は恋なきものに恋あれ、明日は恋あるものにも恋あれ。 」
すでに雨の上がった今夜の、吾が 「 巣守神社 」 の夜の杉木立の影に、ディオーネの女神が厳粛に横笛を吹いている、ような錯覚は安眠の妨害にはならないのである。明日は早く起きて清浄な空気の中、神社の濡れている森を彷徨って見ようか。ひょっとしてディオーネの亡き骸に出会うかも知れない。春が再生なら、この秋は静かに女神の霊を奉り、人びとに食われる 「 新米 」 の霊も祀ろう。