夜の珈琲時間

2016-11-30 | 日記

               

一日中天気が良かった。そして明日からは12月になる。今年もあと31日になってしまったのは例年通りのことだが、昔ほどに僕は日数を気にしなくなったのは歳のせい、だろうか。飾られたスケッチ・ブックに珈琲カップが描かれたのは2004年のことである。白い花瓶は大正李朝のものと言われる白磁扁壷。一週間ばかり前にもらってきた、つぼみだったツバキの花がだんだん咲いて来ている。くれた人はまた遠くへ行ったのだ。

 色も香も昔のこさににほへども うゑけん人のかげぞ恋しき (『古今和歌集』より紀貫之の一首)

 


セブンチェアの宣伝写真

2016-11-29 | 日記

          

額が一枚空いていたから、分厚いヤコブセンの本(デンマークの本)のこの写真が気に入っていたからコピーをとって飾ってみた。フリッツ・ハンセン社が製作するセブンチェアの宣伝写真である。顔の表情からすると少女がモデルのような、しっかりと腕の肘をくっつけた肩とのラインが実にセブンチェアのカタチである。そして、椅子に跨るV字形に開かれた少女の脚もまたセブンチェアをシンボルし、またはシンパシーになっているのが分る。しかし、ここではセブンチェアそのものは影になっていて、素描のような少女の裸の形が、実はセブンチェアの実体を現すのである。

    恋すれば我が身は影となりにけり さりとて人にそはぬものゆゑ (『古今和歌集』より)

 


母の部屋

2016-11-28 | 日記

            

母の部屋の床の間に、小さな石仏を安置した。つい一週間前まではこの床の間は物置場になっていたのだが、足の不自由な母に介護ベッドを入れることになったから、四畳半の母の部屋を半日かけて掃除、整理をしたのである。ペンダント・ライトが照らすお地蔵様はなんと柔らかい表情をしていたのだった。手前の小さな盃に冬の水を入れ、冬枯れの地に落下した菊の花一輪を拾って献花する夜の灯かりは一時の寂滅である。今年ももうじき師走の声を聞く。

 昨日といひけふとくらして あすか川 流れて速き月日なりけり (岩波文庫版『古今和歌集』より)

 


パウル・クレー著『造形思考』

2016-11-27 | 日記

  

ひと月くらい前に、東京から建築家が僕の家に遊び来た時、クレーの『造形思考』のことが話題になった。ということを僕は今まで忘れていた。それは、このクレーの本がちくま学芸文庫から出ているということだった。僕の蔵書は左の、1973年に出版された新潮社版上下2冊本の方で、買った当時は結構な価格だった。それにしても、こういう本が文庫本になるくらいに日本の世はクレーを求めているのだろうか、ということはある、かな。

なぜこのことを突然に思い出したかというと、これももうだいぶ前のことで、地元の指物師の家に何かの用で伺った時、古そうな石油ストーブをもらったのだった。それを珍しく天気の良かった昨日、半日かけて磨いていて、このストーブが日本船燈株式会社製のものだというのがわかった。調べて見ると、このストーブは既に廃盤になっていて、だから一層力を入れて綺麗にしようと無心に磨いていると、“造形美”なんて言う言葉が浮かんでくるのだった。磨いていると、時間と埃の堆積の中から美しいフォルムが立ち現れてくるような、そんな感覚を覚えるのである。磨く時間というのも、これは一種の“造形思考”のことではないだろうか。

どんなに深い心情、どんなに美しい心も、それにふさわしいフォルムが手もとになければ、わたしたちにとって無縁だということである。 (『造形思考 上』より )

とは、これは僕らがひとつの美しい造形と出合った時に感覚する、Klee先生の反語的表現ではないだろうか。