岩波文庫版、中原中也訳 『 ランボオ詩集 』 ( 2013 年刊 )
小林秀雄 ( 1902-1983 ) と富永太郎 ( 1901-1925 ) が好きで、学生時代の当時は本は買えなくてサラリーマンになってからようやく彼らの本が買えるようになった。特に富永の本は稀覯で高価だった。だけど、二人の交友関係には興味を持っていたから神田の古書街を休日の度にブラブラしていた。僕には中也の詩はそれほどではなかったから、彼のはあまり読まなかった。この年齢になってもいまだに、小林・富永と聞くと当時のブラツキが鮮明に思い出されるのである。
小林のランボオ詩集 『 地獄の季節 』 が岩波文庫で発行されたのが1938年ということだし、同文庫版で大岡昇平編集の 『 中原中也詩集 』 が出たのは1981年だから、古典を重んずる岩波文庫としてはこの中也 ( 1907-1937 ) の 『 ランボオ詩集 』 が岩波文庫に入るにはどうも遅すぎた感がある。しかしそうは言っても、また改めて読むに、また再認識するに、また青春の思いを新たにするには、忘れた頃にこういう “ 古典的名著 ” が文庫で読めることは嬉しいし、喜びである。今度はぜひ富永太郎が文庫で読めるといい。折角なので、中也がこの訳詩集の 「 後記 」 として書いた文章の一部を抜粋する。こんな文を読むと今も彼らが生きているような錯覚に陥るのは、僕のクライ青春の残像である。
「 私が茲に訳出したのは、メルキュル版千九百二十四年刊行の 「 アルチュル・ランボオ作品集 」 中、韻文で書かれたものの殆んど全部である。たゞ数編を割愛したが、そのためにランボオの特質が失はれるといふやうなことはない。私は随分と苦心はしたつもりだ。世の多くの訳詩にして、正確には訳されてゐるが分りにくいといふ場合が少なくないのは、語勢といふものに無頓着過ぎるからだと私は思ふ。私はだからその点でも出来るだけ注意した。 (中略) 附録とした 「 失はれた毒薬 」 は、今はそのテキストが分らない。これも大正も末の頃、或る日小林秀雄が大学の図書館か何処かから、写して来たものを私が訳したものだ。とにかく未発表詩として、その頃出たフランスの雑誌か、それともやはりその頃出たランボオに関する研究書の中から、小林が書抜いて来たのであった、ことは覚えてゐる。 (以下略) 」