文庫版詩集

2015-02-26 | 日記

                   

                岩波文庫版、中原中也訳 『 ランボオ詩集 』 ( 2013 年刊 )

小林秀雄 ( 1902-1983 ) と富永太郎 ( 1901-1925 ) が好きで、学生時代の当時は本は買えなくてサラリーマンになってからようやく彼らの本が買えるようになった。特に富永の本は稀覯で高価だった。だけど、二人の交友関係には興味を持っていたから神田の古書街を休日の度にブラブラしていた。僕には中也の詩はそれほどではなかったから、彼のはあまり読まなかった。この年齢になってもいまだに、小林・富永と聞くと当時のブラツキが鮮明に思い出されるのである。

小林のランボオ詩集 『 地獄の季節 』 が岩波文庫で発行されたのが1938年ということだし、同文庫版で大岡昇平編集の 『 中原中也詩集 』 が出たのは1981年だから、古典を重んずる岩波文庫としてはこの中也 ( 1907-1937 ) の 『 ランボオ詩集 』 が岩波文庫に入るにはどうも遅すぎた感がある。しかしそうは言っても、また改めて読むに、また再認識するに、また青春の思いを新たにするには、忘れた頃にこういう “ 古典的名著 ” が文庫で読めることは嬉しいし、喜びである。今度はぜひ富永太郎が文庫で読めるといい。折角なので、中也がこの訳詩集の 「 後記 」 として書いた文章の一部を抜粋する。こんな文を読むと今も彼らが生きているような錯覚に陥るのは、僕のクライ青春の残像である。

「 私が茲に訳出したのは、メルキュル版千九百二十四年刊行の 「 アルチュル・ランボオ作品集 」 中、韻文で書かれたものの殆んど全部である。たゞ数編を割愛したが、そのためにランボオの特質が失はれるといふやうなことはない。私は随分と苦心はしたつもりだ。世の多くの訳詩にして、正確には訳されてゐるが分りにくいといふ場合が少なくないのは、語勢といふものに無頓着過ぎるからだと私は思ふ。私はだからその点でも出来るだけ注意した。 (中略) 附録とした 「 失はれた毒薬 」 は、今はそのテキストが分らない。これも大正も末の頃、或る日小林秀雄が大学の図書館か何処かから、写して来たものを私が訳したものだ。とにかく未発表詩として、その頃出たフランスの雑誌か、それともやはりその頃出たランボオに関する研究書の中から、小林が書抜いて来たのであった、ことは覚えてゐる。 (以下略) 」

 


歌集

2015-02-24 | 日記

              

最近購入した文庫本の中で、特に興味深く読んだ一冊である。思ったのは、 「 洗練 」 から最大の距離にある言葉は、それは 「 土着 」 ということだろうな、と言うことである。また 「 土着 」 にはいろいろなニュアンスがあって、泥まみれのようなものであり、牧歌のひとつであり朴訥なものであり、また何処にでもあるものである。土中に金剛石が埋蔵されているかも知れないような…。寺山修司 ( 1935-1983 ) の歌は日本的土着性とも言うべき、伝統的和歌に対する反歌なのではなかったか。新しい文学とは、その都度その都度に発生する、伝統に対する、革新の文学のことではなかったか、としみじみ思うのである。この 『全歌集 』 ( 2011年 講談社 ) から数首引用してみようと思う。

  自らを瀆してきたる手でまわす顕微鏡下に花粉はわかし

  うしろ手に春の嵐のドアとざし青年は巳にけだものくさき

 


ポスター

2015-02-23 | 日記

          

掲載したポスターは、ミッフィーの絵本で世界的に知られているオランダのデザイナー、ディック・ブルーナ ( 1927年、ユトレヒト生まれ ) の作品。ブルーナはミッフィーを生み出す前には父の経営する出版社A.W.ブルーナ&ズーン社で、ブック・デザイナーとしてペーパー・バッグのカバー・デザインを20年にかけて約2,000冊もしていたということである。そのデザインには子熊のマークが入れられていて、それらを “ ブラック・ベア ” と言い彼の初期の重要な仕事であった。子熊の目が赤いのは、勿論、白い目の子熊のものもあるが、それは夜に本を読み過ぎたためであると言う。

2004年に日本で出版された 『 ブラック・ベア ディック・ブルーナ装丁の仕事 』 という書籍 ( 僕が所蔵しているのは第2刷版 ) からのもので、他にもたくさんの美しいデザインが掲載されている。

 


山河晴天

2015-02-22 | 日記

昨日といい今日といい、とても天気が良かった。少し事情があってブログを一週間書かずじまいだったから、読んでいただいている方々には申し訳なく思っています。

天気に誘われて、十日町市まで片道約70キロをドライヴして来た。知り合いの方のエプロン工房&カフェまで行って来たのだった。偶然にも恒例の “ 十日町市雪祭り ” が開催されていて、市内の道路脇ところどころには大きな雪像が設置されていた。初めて見たのだった。途中、思ったより車が多いなとは思ったが、幟や案内看板で、なるほどと納得したのである。入った蕎麦屋は人気で、行列が出来ていて、看板の文字は岡本太郎画伯と聞いて来たから、店内には画伯の木版画が一点掛かっていた。この町では老舗の蕎麦屋と聞く。畳の部屋のテーブル席がモダンで落ち着いた雰囲気を出していたのには気持ち良かったのである。蕎麦も一入美味しいのだった。 “ 由屋 ” ( よしや ) という。

写真はわが山河である。霊峰・守門岳から流れ出る清水・刈谷田川。青い空に薄く白い雲を引く。雪はもうじき消える運命にあるけど、こんな天気だったら雪はいつまでも消え残っていてもいい。季節が移ろう美しい時節である。こういう日は呼吸が美味しい。

 


奇祭“裸押合い祭り”

2015-02-15 | 日記

昨夜は近くの巣守神社で真冬二月恒例の“裸押合大祭”があった。降る雪の中、それなりに見物人もいるにはいたが、観光化もしてないので、訪れる人たちは知ってるような見覚えのあるような村の人たちで、他に、東京からボランティアで60人もの学生達が来てると聞いて、ちょっと驚いた。僕の知り合いも三人ばかり来てくれたのは楽しい時間だった。無料でハズレのないクジが配られていて、僕は一合徳利のお神酒が当たった。それに、甘酒と栃尾油揚げの“創作揚げ”も無料でいただいて、火が焚かれた回りでオシリをあぶりながら食べたことは、素朴な祭りであることがなんと気持ちも暖かであったか!写真に撮った二人の恵比寿様がきっと御利益(ごりやく)をくれたのだろう、そう思えば、これはいいお祭りだったのである。