ランプまつり Ⅱ

2016-09-26 | 日記

 

   障子紙を張ったばかりの、最後の絵付けを制作中 (青鹿悟之氏撮影)

     こういう小さな糸車に糸を巻いたランプが、 路地に置かれ並べられた

 

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今夜は「とちお夜のランプまつり」

2016-09-24 | 日記

 

 

 

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とちお夜のランプまつり

2016-09-22 | 日記

       

24日(土)午前9時半から、僕が担当する栃尾郵便局前エリアでインスタレーションを設置する。長さ12m、高さ3mの大きさで郵便局の前を障子紙で覆ってその中にライトを入れて、大きな“提灯”とするものである。プランとしては面白いと思うが、実際のところ現地製作なので当日はどうなりますか。手伝いに来てくれる方々に期待しようか。このイベントは、これが記念すべき第一回目で、このお祭りのアイディアは栃尾在住の当時は女子中学生だった。「このランプ祭で、栃尾をもっと明るく照らして、みんながひとつになることができる機会を増やせたらいいと思います」とコメントしている。24日、25日の両日とも午後6時から9時までで、また他にも「秋葉百八風鈴灯」、「秋葉公園ライト.アップ」が同時開催になりますので、ぜひ見に来て下さい。

 

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月明かり

2016-09-18 | 日記

      

これは一昨日の深夜の写真で、一時晴れていたが雲がかかっている。下に見えるばんやりした二つの明かりは田圃を隔てた隣家の窓。写真全体をキャンバス100号くらいのタブローに見立てても面白い。

今日は一日中雨降りで一時沛然とする。それで今日も一日中家の中でアンセイに暮らしていた。出しっ放しの本を元の書棚に戻して、机の上を整理しきれいに拭いたので、明窓浄机と言う言葉を実感する。それで永井荷風の「日和下駄」(岩波版『荷風全集第13巻』から)を読む。大正三年頃の東京市中の下駄とステッキの散策記で、変貌する東京市中を寂しみ、江戸の名残りに哀惜の情を傾ける荷風落涙のエッセイである。

今日(こんにち)東京市中の散歩は私の身に取つては生れてから今日に至る過去の生涯に對する追憶の道を辿るに外ならない。之に加ふるに日日(にちにち)昔ながらの名所古蹟を破却して行く時勢の變遷は市中の散歩に無常悲哀の寂しい詩趣を帶びさせる。およそ近世の文學に現れた荒廢の詩情を味はうとしたら埃及(エジプト)伊太利(イタリー)に赴かずとも現在の東京を歩むほど無殘にも傷ましい思(おもひ)をさせる處はあるまい。今日(きょう)看て過ぎた寺の門、昨日休んだ路傍の大樹も此(この)次再び來る時には必ず貸家か製造場になつて居るに違ひないと思へば、それほど由緒(ゆかり)のない建築も又はそれほど年經ぬ樹木とても何とはなく奥床しく又悲しく打仰がれるのである。

 

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無聊な一日

2016-09-17 | 日記

      

今日は家の中でごろごろしながら、先日に古書好きの編集者から原稿料替わり(?)に頂いた大森啓助著『アンリ・ルソオ』(アトリエ社 1940年刊)を開いたり閉じたり、また、熱い珈琲を淹れようか、冷たいのがいいのかあれこれ考えながら、そしてまた家の中をうろうろしていた。こういう一日はとても気分がいい。あんまり期待しないで読んでいたが、これが結構面白くて、つい読み終えてしまった。大森啓助(1898-1987)は著作や訳書もある国画会の洋画家で、僕は知らなかったし絵も見たことはなかったが、この『ルソオ』はルソーの絵のように衒いのない、ルソーの絵を見る喜びが伝わってくるような、いい本であった。大森啓助の作品も見たくなった。

さもあらばあれ、ルシエルシエのみにいそがしい繪畫ばかりが氾濫してゐる現代に、ルッソオの如く純眞にして素朴明朗にして歡喜に充ち溢れた繪畫を見得るとは、なんとたのしく嬉しいことであらう。(ルシェルシェはフランス語で、もてはやされる、珍しい)

大相撲中継はソファに横たわって見ていたが、家の電話に飛び起きて、出てみるとそれはペンキ屋の営業だったのは、どうも癪に触るのである。夕方からは雨が降ってきて、秋の虫も一層うるさいほどに鳴き始めた。もうすっかり、秋になった。

 

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