時には「酔歌」でも

2016-01-31 | 日記

      

      

明治30年(1897年)8月春陽堂発行、島崎藤村(1872-1943)の第一詩集『若菜集』の復刻版。「まだあげ初めし前髪の…」で始る有名な「初恋」という詩もこの中に入っている。今日はもう一月のみそかである。偶には藤村の詩集を開いて、雪に埋もれて酒ならぬ言葉の独酌をするのもいい。それでほろ酔いで、詩集の中の「酔歌」を聴くのである。

 

     旅と旅との君や我     君と我とのなかなれば

     酔ふて袂の歌草を     醒めての君に見せばやな

 

     若き命も過ぎぬ間に    楽しき春は老いやすし

     誰が身にもてる宝ぞや  君くれなゐのかほばせは

 

     君がまなこに涙あり   君が眉には憂愁(うれい)あり 

     堅く結べるその口に   それ声も無きなげきあり

 

     名もなき道を説くなかれ   名もなき旅を行くなかれ

     甲斐なきことをなげくより   来りて美(うま)き酒に泣け

 

     光もあらぬ春の日の    独りさみしきものぐるひ

     悲しき味の世の知恵に    老いけらしな旅人よ

 

     心の春の燭火(ともしび)に  若き命を照らし見よ

     さくまを待たで花散らば    哀しからずや君が身は

 

     わきめもふらで急ぎ行く   君の行衛はいづこぞや

     琴花酒のあるものを      とゞまりたまへ旅人よ

 


街灯

2016-01-30 | 日記

      

雪の中に街灯が灯っている。一日曇り空で、雪は降らなかった。今日、屋根の雪をやっと全部降ろした。深夜、外に出て家の周りを少し歩いて見ると、街灯の灯かりが雪に反射していてその周りは意外と明るい。闇の中の乳白の色が一層闇を際立たせているのである。静寂とはこういうシーンのことを言うのだろうか。三好達治(1900-1964)の詩(「雪」)にあるように、この静寂のなか、母に抱かれておさない太郎と次郎が眠っているのだろう。

        一月の真白く晴れて屋根の雪夜ともなれば乳色の雪

 


CD front cover

2016-01-29 | 日記

         

シーフが撮ったカヴァーの写真が気に入って買ったサックス・プレイヤー、アーチー・シェップ(アメリカ1937生)のCD “ デジャ・ヴュ ” である。ジャンルー・シーフ(フランス1933-2000)の写真はモノクロームの陰影が美しい。願わくば、こういうポーズのモデルを目の前にして、絵を描いて見たいものである。デジャ・ヴュ(いつか見たかも知れないもの) としての絵でもいいから、いつか描いてみようか … 。

 


『黒いコーヒー』

2016-01-28 | 日記

          

突然に、2004年6月19日の絵日記を掲載。その頃は東京に居た頃で、会社の帰りや朝の出社前にはよく“ベローチェ”というカフェで熱い珈琲を飲んでこんな絵を描いていた。自分でも何がなんだかよく分からなくて、何を分ったらよかったのか、こんな絵が何処からやって来たのか今も理解し得ないのである。この年の7月17日、目黒不動尊参道に gallery artbookchair はオープンした。

 


『フィン・ユールと自邸』

2016-01-26 | 日記

      

この本のことは以前のブログで紹介したかどうか記憶が曖昧になっていて、それで掲載しておこうと思う。就寝の床のなかで腕枕しながらこの本をパラパラめくるのが、なんと言っても安眠への誘いなのである。ページの写真を見ているだけなのだが、僕の「枕頭の書」となっている。美術出版で定評あるドイツの “ HATJE CANTZ ” 社が2014年に出版した本である。今夜はこの他には書くことがない。