素敵な “レジェ”

2019-10-27 | 日記

          

晩秋の田んぼを背景にして、フェルナン・レジェ (1881-1955) の展覧会カタログを撮った。この薄い冊子は1962年5月にパリの有名なベルグルアン画廊より発行されたもので、このシリーズの冊子は1000部限定でどれも版型を同じにして、それも印刷はポショワール版画で、かのダニエル・ジャコメ (1894-1966) の手によるものである。僕は今のところピカソとクレーのものをそれぞれ所蔵しているが、他にもマチス、エルンスト、ローレンスなどのものを古書目録などで稀に見かけ、欲しいと思うが値段もいいので、いずれまた巡り合った時にでも買えたらと思う。ピカソとクレーのものは額装して飾っていて、このレジェもやっぱり額装して並べようと思う。彼らマイスターのオリジナル作品など逆立ちしたって何したって到底手に入るものではないから、せめて冊子を作品代りにして気分を出すのである。気分が出ると、何故かしらちょっと豊かになる。そして、豊かさというのは自分自身の気持ち次第だ、ということがよく分かるのである。

 


遠く夕暮れの鉄塔

2019-10-09 | 日記

           

                      

                     キャンバスに白い薔薇を描かんとして

                     遠く思えども

                     また思ったりしたが

                     秋の夕暮れはいつかに失った赤い薔薇である。

                     この時間では鮮明はかすみ

                     オボロなる憂いのみが広がってゆく。

                     会う人はみな美しい

                     去り行くものもみな愛おしい。


SLIPPER

2019-10-06 | 日記

          

そろそろ交換どきの使用中のスリッパである。8ヶ月くらい使っているものだけど、安物だけにもう寿命が近くなっているようだ。底がだんだん剥げかかってきている。これから冬に向かっているから今度は少し厚手のいいものを買ってみようか。
ということで、このスリッパ、中々捨てるに忍びないのである。購入した時、僕のマーキングとしてマジックで描いたこの鳥の絵に目が行くと、しかしどうも捨てきれない気がしているのである。左右それぞれに鳥のメス・オスである。番 (つがい) なのである、裏と表、左と右が一対であると同じく、対でなければ機能しないもの、対であることで命が発生するのである、は自明であるので、このスリッパを廃棄することは、どうも考えようでは、この世から一つのイノチを抹殺することになりかねないのである。ナンテ!大げさなお話になってきたようだ。あまり大げさに考えないようにしなければならない … 誇大な考えはよせ! ボウチョウシタカンガエハ、ヨセヨ! 
しかし考えて見れば、この寿命というものも一個の膨張 (ボウチョウ) なる結果かも知れない。剥げかかっているというのは、使っているうちに物が押しつぶされてボウチョウして、くっ付いていた物からはみ出したその現象のことであるだろう。誇大なものいいはしかし面白くもあって、空想の世界に僕を遊ばせるのである。そして、オスとメスの番は種を遺すとこの世から去って行く。だから、新しいスリッパを買ったら、古いものを鄭重に葬ってやらなければバチが当たる。たかがスリッパ、されどスリッパ。