樋口廣太郎著 『 前例がない。だからやる 』 (1996年 実業之日本社発行 ) 。もう、かれこれ樋口氏はアサヒビールの社長、会長だった方で、それまでは、風の前のともし火だったような会社を再建するべく、「 アサヒスーパードライ 」 の発売で会社のピンチを救った方であった。その著作に興味ある一文が掲載されていたので紹介する。タイトルは 「 文化活動は会社のエネルギー源 」 。
ビール会社のように、味や香りを大切にしている企業の社員は、豊かで高い感性が求められます。 ( 中略 ) 豊かな時代に育った豊かな感性をもつ世代の社員が、企業に入ってから品性が貧しくなってしまうことになれば、本人にとっても企業にとっても不幸な事です。しかし、社員に急に感性をもて、創造的になれといっても、それは無理というもの。ですから、社員も文化活動を通じて文化、教養、娯楽などに強い関心を示し、積極的に参加してほしいのです。素晴らしいオペラやクラシックを聴くとか、いい絵を見るなど、芸術に触れることは、素晴らしいものへの憧れにつながり、同時に、そこで養われた感性が、必ず商品づくりやデザインを考えるときにフィードバックされます。
企業が文化活動をやらなくなると、企業のエネルギーはなくなります。あまり現実的な利益ばかりを追求して、文化活動への資金協力や協賛を惜しんでいたら、その企業は社会に受け入れられなくなるでしょう。企業がコンサートなどに協賛するのは、もちろん、そのことで少しでもチケットが安くなって、多くの方々がチケットを求めやすくなればうれしいことですが、それは第二義的なことで、企業が行う文化活動の第一義は、企業自身が生存するための手段なのです。美や文化に憧れる心をもたない企業は伸びません。企業、社員にとって、文化活動は大事な栄養素なのです。
17年前に出版された本で、今日では “ 企業メセナ ” なんていう言葉はまだあるのだろうか。メセナ活動は、企業が直接の利益を求めない文化・芸術・スポーツへ資金など提供するいわば社会貢献のことなのだが、景気の下降低迷とともにあまり聞かれなくなったようである。しかしそうは言っても、そうではない企業も今も多くあるわけである。利益とはただ単にお金に関するものばかりではなく、 「 精神的利益 」 を積極的に追求することの方がむしろ “ 利益 ” になるのではないだろうか。最終的に、利益とは一体何処に行くのだろう。 「 栄養素 」 と言うことの意味を考えてみる必要があるかも知れない。