遺された少女

2013-08-31 | 日記

   

       今は亡きキャラメルママのママが大切にしていたアンティーク・ドール

今朝は当ギャラリーで第16回の 「 朝活 」 が開催され、12名の方々が参加された。テーマは 「 失敗をシェアしよう! 」 というもので、皆さん、古傷 (?) の痛みを持ってその貴重な経験談を話されていました。実に老いも若きも傾聴に値するものであった、と思います。

 写真のこの少女は明日、今キャラメルママのお店を守っているユミコさんに返却しに行く。そこで、僕にとっての何かのエスポワールとして、KLEE のカタログレゾネ ( 全9巻 ) を椅子代わりにして座ってもらった。 「 二ヶ月ばかり留守にするから預かっておいて。帰って来たら連絡するから 」 。 そうか、いいな海外旅行でも行かれるんだ、とばかり思い込んでいた。今聞けば、海外旅行先は病院だったのだ。それが今となっては最後になった。もう二ヶ月過ぎたけど、もうそろそろ連絡があってもいい頃だよな、電話してみようかな、とは思いつついたが、一昨日の夜遅く、サトウ君から携帯に訃報の電話があったのだった。一週間くらい前、窓を開け放した夜の部屋に風が吹いた。飾っていた少女が倒れたのである。へえ、こんな風でも倒れるんだ、と内心思った。これも、今思えば、の話である。 “ 今思えば ” は今思えば、どうしようもなく猛烈になんとたくさんあったことか

 

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夜の机上

2013-08-30 | 日記

夜の灯かりが灯る机。今夜は何を読もうか、文庫本を物色中である。帰宅が遅くなってしまった。左端に置かれた三冊の文庫本はすなわち、本居宣長著 『 紫文要領 』 、西脇順三郎著 『 野原をゆく 』 、それに菅野昭正編 『 九鬼周造随筆集 』 である。

三冊ともテンデバラバラなのは十分承知之助で、これらの本はいつも座右に置いている本で、ただ置いておくのである。パソコンの立ち上げにちょっと時間がかかる時とかに、どこでもいいページを開いて数行を読む。立ち上がったらページを閉じてまた元に戻す。しかしつい読み進んでしまうことも、あるにはある。そうすると一行の断片がスッと心に入ってくる、こともあるにはある。

思い出すとその言葉が、宣長だったか、 J. N. だったか九鬼だったかで僕の頭の中でブレンドされる。ブレンドされると言葉としても面白くなる時が、ある。言葉が僕の中で、静止したものではなくて一つの血流を起こせばいい、と思っているふしが僕にはある。これもやっぱり読書なんだろうか … ね明窓浄机というが、迷走の机上である。または、机上でしか迷走できないこともあるから、机上は一個のラボラトリーでもあある、のであある、と思うのであある。今夜はもう眠くなってしまった … 、おやすみです。そうそう、今夜読んだ九鬼の 「 音と匂 」 の一節。

私は告白するが、青年時代にはほのかな白粉の匂に不可抗的な魅惑を感じた。巴里にいた頃は女の香水ではゲルランのラール・ブルーやランヴァンのケルク・フラールの匂が好きだった。匂が男性的だというので自分でもブッケ・ド・フォーンをチョッキの裏にふりかけていたこともあった。今日ではすべてが過去に沈んでしまった。そして私は秋になってしめやかな日に庭の木犀の匂を書斎の窓で嗅ぐのを好むようになった。私はただひとりしみじみと嗅ぐ。そうすると私は遠い遠いところへ運ばれてしまう。私が生れたよりももっと遠いところへ。そこではまだ可能が可能のままであったところへ。

ふとんの中で、 「 生れたよりももっと遠いところへ 」 逝ったキャラメルママのママの死因を今夜知ったことで、二ヶ月前に彼女から預かった異国の少女人形の大きな瞳が、しみじみとするのだった。享年62歳という ( 合掌 ) 。

 

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魅惑の建築家・バワ

2013-08-29 | 日記

『 pen 』 のバックナンバー ( 2012.4/1 №510 ) にスリランカの建築家、ジェフリー・バワ ( 1919-2003 ) の特集記事があった。この掲載写真は建築家自邸のリビングである。天井まで届く縦長の窓から入る光が、この空間を陰影あるものにしている。ルイス・バラガン自邸のサロンとはまた違った瞑想空間のようでもある。置かれた調度品の全てが建築家の趣味を物語って、語ろうにも語り尽くせないものがあり、想像は巡るばかりであり、不思議にも何かしら希望のようなものがインスパイアーされるのである。これはひとつの 「 神は細部に宿る 」 であり、様になってるナー。こういう空間がいつか作れないものだろうかこの自邸はコロンボ市内にあって公開されているそうで、実際見てみたいものである。

僕はなぜ、このような曰く言い難い空間に心が惹かれるのだろうか。家には壁があり窓があり、勿論天井がある。どんな住宅建築も屋根と軸組みと壁や窓からできているにもかかわらず、同じものは一つとしてお眼にかかったことはない。しかし考えてみると僕の惹かれるものはどこか似ているのである。アントニン・レイモンド ( 1888-1976 ) の印象的な言葉がある。すなわち、

最も簡潔にして直截、機能的にして経済的、かつ自然なるもののみが真に全き美を有する 。

自然は人工よりも美しい。簡素と軽快は複雑より美しい。

単純になればなるほど、その表現力は力強くなり、真実になり、したがって美しくなる。

と言うのであった ( 以前、ブログでもこのレイモンドの言葉は紹介したことがある ) 。思えば、僕はこれら 「 簡潔・簡素 」 、 「 機能的・経済的 」 、 「 自然 」 、 「 単純 」 という言葉が念頭にあるに違いないのである。そして 「 美しい 」 である。美しいものは何か、というのを自分の言葉で知りたいと思う。実際見たことはないけど僕がバワの建築が美しいと思うのは、彼の 「 自然 」 に対する敬意を感ずるからだろう、と思う。決して大きくはない窓から見えるのは、プルメリアの樹である、とこの記事に書いてあった。

 

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“ 黒のデカルコマニー ”

2013-08-28 | 日記

   デカルコマニー 「 ばらの花のような 」 7.2cm×5.3cm  1964

先日、当画廊のお客様から 『 野中ユリ 美しい本とともに 』 という、今、神奈川県立近代美術館・鎌倉別館で開催中 ( 9月1日まで ) の野中ユリ ( 1938年生 ) 展のカタログを、お願いして買って来ていただいた ( 感謝します ) 。彼女は戦後の前衛アーティストにして、現在も第一線で活躍中である。今回の展覧会は野中ユリがこの美術館に多数の作品を寄贈されたその記念に開催されたもの、という。従ってこのエキビジョンは全国を巡回しないので、少々残念なことである。特に美術の専門の学校を出たわけでもなく、自らの勉励と刻苦によって独自の世界を創造して来たこのアーティストの造形美は、謎と未知に見れば見るほどに満ち満ちている。それが更にかつて見たこともない美の世界に僕らを誘うのである。端的に言えば、いつかの夢に見たような、生れる以前の原始の記憶のような、それは言って見れば 「 初めての再会 」 であった。愛を夢見た夢の中の別れた人との再会、生れてこの方忘れ去っていた遥かなものとの、再会のことである。コラージュにしても、デカルコマニーにしても、または銅版画にしろ彼女の営みは、いつも美しい本とともにある。また、美しい本は彼女の営みから生れたのである。

再会はまた、会者定離の運命 ( さだめ ) から免れ得ないだろうが、静かな真昼時、一陣の風が吹いて美しい本のページは、風のまにまに翻るのである。ひるがえりつつ美しい本は 「 ばらの花のよう 」 に、 「 初めての再会 」 の運命を超えて行く。かつて瀧口修造は 「 星は人の指ほどの 」 ( みすず書房刊 『 余白に書く Ⅰ 』 ) というタイトルで野中ユリに一篇の詩を書いた、その冒頭。 

       若い生命の小指を賭けた狩り !

      「 われらの獲物は一滴の光りだ 」 と詩人はいう。  

         ( 以下略 )             

 

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夏の夕方と闇

2013-08-27 | 日記

部屋の窓から夕日を撮る。もうじき山の端に沈んでしまうところだったが、日は何とかまだ沈んでいなかった。慌てて撮ることもないのだったけど、もうじき夕食の時で、やっぱりお腹の秋の虫が鳴いているのである。空には空の無常があり、白は白でも多くの色を孕んで夕暮れの雲は七色変化であった。夕食後には久しぶりの夜のウォーキングをした。

夜の巣守神社は灯篭に灯が入っていて、今夜は “ 宵の宮 ” ( 祭りの前夜 ) であるという。夏の夜の神社に灯かりが灯る光景は、やっぱり灯かりは神聖な趣があり、夜が一層尊いものに思われるのである。一時佇んで暗闇の中で灯る灯かりにわが身を顧みるのだった。近くにあって遠く思うことがあり、また遠くにあって近く感じることがあるもの。思えば、夜ともなれば闇は毎日訪れるのだが、家の中に居れば闇は遠くある。しかし一旦家の外に出れば、夜の闇が大きく暗い山容を背景にして、迫って来るのである。いつまでも心に残るのは闇の中のともし火だったりする。この夕日もまた、そうである。 もう、秋だ!

                       落葉

        あきのきたるにおどろきて にはの木の葉をながむれば

        すがたもげにやたびびとの こころにうたた似たるかな

        かぜのまにまにひるがへり ひるがへりつつ落ちもせず

        なほ棲みなれしおのがいへ こひしきふる枝惜しむがに 

   ( 小村定吉訳 『 邦訳支那古詩・漢魏六朝篇 』 ( 昭和16年昭森社刊 ) より )

 

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