普段と変わりない夜である。月光は夜のウォーキングには明るくていい。刈谷田川の水面も銀色に光りながら流れて行く。唐突に、 『 ダブリンの市民 』 ( ジェイムズ・ジョイス作 1914年出版 ) もこういう満月を見るんだろうな…。今、この本を読んでいるので…ちょっと思って見ただけであるから、こんな夜は ( それにしても暑い夜である ) 虫の音に静かに耳かたむけて見ようか。
『 ダブリンの市民 』 ( 2004年刊 岩波文庫 結城英雄訳 ) から 「 痛ましい事故 」 の冒頭である。
ミスター・ジェイムズ・ダフィは、チャペリゾットに住んでいた。自分もその市民の一人であるダブリンからできるだけ離れて暮らしたかったから、また他の郊外地区は品がなく、近代的で、気取りがあると思えたからだ。彼は古い陰気な家に住み、窓からは目の前に廃屋の蒸留酒製造所が見晴らせ、上手にはダブリンを貫流するリフィ川の浅瀬が広がっている。絨毯の敷かれていない部屋の高い壁には絵も飾られていない。部屋の家具はすべて彼がひとりで買ったものだ。黒い鉄製のベッド、鉄製の洗面台、四脚の籐椅子、洋服掛け、石炭入れ、炉格子、炉用鉄器具、二層底の手箱の載せられている四角いテーブル。書架は床の間に白木の棚で作られている。 ( 以下略 )
なぜかこの文章がとても気に入っている。 「 痛ましい 」 現実が始まろうとしているかのような、始まらなくてもいいのであるが、淡淡と書かれている。僕の現実も淡淡であり坦坦としている。月は深更になって更に皓皓としてきた。