表紙としての “ 新しい天使 ”

2018-03-27 | 日記

             

昨日のブログで紹介したこれが宮下誠著『 越境する天使 パウル・クレー 』の表紙である。表紙の絵は、クレーの「新しい天使」1920年 (イスラエル美術館蔵) 。大きさ・31.8×24.2cm、紙に油彩転写・水彩。作品は厚紙に貼付け。というキャプションがついている。この絵について、著者はヴァルター・ベンヤミン (1892-1940) のテクストを紹介しているのでここにそれを書いてみる。

「新しい天使」と題されたクレーの絵がある。それにはひとりの天使が描かれていて、この天使はじっと見詰めている何かから、いままさに遠ざかろうとしているかに見える。その眼は大きく見開かれ、口はあき、そして翼は拡げられている。歴史の天使はこのような姿をしているにちがいない。彼は顔を過去の方に向けている。私たちの眼には出来事の連鎖が立ち現れてくるところに、彼はただひとつの破局だけを見るのだ。その破局はひっきりなしに瓦礫を積み重ねて、それを彼の足元に投げつけている。きっと彼は、なろうことならそこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。ところが楽園から嵐が吹きつけていて、それが彼の翼にはらまれ、あまりの激しさに天使はもはや翼を閉じることができない。この嵐が彼を、背を向けている未来の方へ引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ

ここでベンヤミンの言う「嵐」なるものは “ 時代の空気 ” というものだろうか? 彼が生きた時代はナチズムという最悪の嵐が吹いていた。この絵が描かれたのは1920年であるが、ベンヤミンは彼が生きて呼吸している “現在” にこの絵を感じたに違いない。絵という作品は、描かれたその時代でなくて、それに向き合うその時代時代の人の “現在” で感じるものだろう。

進歩とは、未来のことだろうか? という疑問がわく。しかし、実は、進歩とは「新しい天使」が顔を向けている過去のことではなかったか! ベンヤミンはこの「新しい天使」を “歴史の天使” と見たのだった。なぜ、“歴史” だったのだろう?

 


『越境する天使 パウル・クレー』

2018-03-26 | 日記

      

      

表題の本は宮下誠著になる本である。宮下先生 (1961-2009) は國學院大學教授在職中に急死された。この『越境する天使』(2009年12月 春秋社刊) の原稿は生前には既に出来上がっていたといい、死の七か月後に出版されている。本書の「はじめに」の一部をここに書いてみる。

「越境する天使」。この言葉からも分かるとおり、筆者は、クレーの芸術は様々な「プラットホーム」を自由に往還する、融通無碍な、しかし常に死と向き合った深刻な芸術であると思う。そのイメージはこれまでのクレー観に一石を投じる認識だと思っている。目次を見ていただければ分かるように、そこには二十世紀の様々な問題に対してクレーが取った越境、逸脱、回避、迂回、非論理的飛躍、跳躍 (跳び越え)、が見えてくる。本書はそのようなクレー芸術をこれまでの類書にはない視点から書き連ねてゆこうとするものである。クレー芸術の新しい側面、プリズムのように千変万化するクレー芸術を図番とともに楽しんでいただければ幸いである。

ということで、申し遅れましたが、写真に掲載したのは、描き上がったばかりの絵で、水彩とペンと色鉛筆。この本にカバーデザインとして使用されていたクレーの作品『新しい天使』(1920年 )を、若干、端折って描いてみたのである。

 


Reflection する『藤村文明論集』

2018-03-24 | 日記

      

水彩絵の具を使った筆を洗っているグラスの水に、太陽の光が透過する。部屋の中にも太陽と水の自然現象があって、予期しないこういう現象に巡り合えると、一日が何となく儲かったような気分になるのが、可笑しい。ちょうど緑色の絵の具を洗っていたから、水は緑になって、光も緑である。太陽も緑色。高村光太郎の本に、そう言えば、『 緑色の太陽 』という本があったように記憶する。

最近、藤村の随筆集が面白い。先回のブログにも藤村の『春を待ちつつ』というのを取り上げてみたが、部屋の本の整理中に一冊の本が出てきたのがこの岩波文庫版『藤村文明論集』(十川信介編 1988年刊) だったのである。もう藤村は時代遅れなんだろうか。しかし、そんなことはなくて、それにしても藤村の随筆は面白い!「フランス人のディレッタンチスム」の中から一節書いておく。

あちら (注・パリ) では何処へ出て誰と話しても面白い。これは自分が一異国人として新鮮な好奇心を持ってすべてに接したからであろうが、そうばかりでもなさそうである。彼らが持っている「社交界」というものは、我々に欠けている一つの生活形式だと思う。そこには礼儀もあり、理解もあり、同時に安易な、自由な、温和な気分もある。

特にフランス人についてだけ言って見ても社交場裡 (必ずしも舞踏とか宴会とかいう際だった会合でなくても、一朝、一夕のお茶の会でもいい) の彼らは、われわれ程度の本国人をでも外国人をでも、快く受けて相応に趣味上なり文学上なりの談話を交換する能力を持っている。(中略) さて、そんなら、彼らを何と形容したらよかろうか?そう、あれがフランス人の誇 (ほこり) である古いラテンの文明のお蔭というものでもあろうが、社交上に現れた彼らの一特性はディレッタンチスムという事である。

日本の言葉に翻訳すると、彼らは誰でも大抵いわゆる「趣味の人」なのである。「物好き」なのである。だから世間普通の彼らと話してみても、政治上の事も解る、美術上の事も解る、文学上の巨細は解らなくても片端位は解る。それは我国の成金が文部省展覧の画を買い占めるのとは聊か違っている事は言うまでもない。薄っぺらではないのである。「ディレッタンチスム」という言葉を繰返して用いるならば、彼らには、「色の濃いディレッタンチスム」があるのである。彼らの日常生活の大方がそこから来ているように感ぜられる。社交上の談話に芸術的の匂いの漂う如きはその故 (せい) だと思う。そして、この事が彼らの生活享楽と自然の聯絡を保っているのは勿論である。

僕がまだ学生の頃、ディレッタンチスム、という言葉はどうもあんまりいい言葉として受け取られていなかったが、今もそうだろうか? だけど未だに僕はこのディレッタンチスムまたはディレッタント、という言葉を好んで使っている。一介の美術愛好者、一人の文学好き、そして単に古い本の愛玩癖なども、僕としてはこの「ディレッタント」の部類なのである。生涯、自分の人生をこのディレッタントとして生きたいと思うのである。単なる「好事家」でいいのである、「物好き」でいいのである。実に藤村のこのエッセーに共感するのだった。

 


パウル・クレー『無限の造形』

2018-03-23 | 日記

       

バウハウスでのクレー (1879-1940) の講義を軸に、クレーの作品を配した本である。上下2巻本箱入り外箱付、1981年に新潮社から南原実訳で出版された。いままで書架に埋没していた本だったが、取り出して立ち読みしていると、ついハマってしまって読み出したのである。今日は部屋の掃除予定だったが、それを変更して掃除は明日に回すのである。明日できることは今日することもないかな、という僕の “ ポリシー ” がつい目覚めてしまったのだ。それで半日、クレーの講義を聴講するのである。クレーの有名な言葉に 「 芸術は眼に見えるものをあらためて提示するのではない。見えないものを見えるようにするのだ 」というのがある。ではどうすればそれができるのか。造形を生み出すとはどういう意味があるのか、そして、ないのか。クレーがクレー自身の作品で実践し、試行錯誤し、答える。1923年10月23日火曜日の講義である。

主な葉脈をつなぐエネルギーに注意を払いながら、木の葉を写生する。木の種類によって葉脈の走り方が異なる点を類型化してみる。生長とは、それまで静止していたものに新しい何ものかがつけ加わった結果、物質が前進する運動である。地上の世界の運動は、エネルギーを必要とする。罫、線、さらには面、色調、色彩など私たちの造形要素についても同じことが言える。

自然との対話は、芸術家にとって不可欠の条件である。芸術家は人間であり、みずから自然であり、自然界の一部である。(1923年)

人もまた自然界の一部なら、人の生長 (成長) もまた「新しい何ものかがつけ加」えられないと「前進」しないのだから、そういうエネルギーが人にも不可欠なのである。従って、人にとってのエネルギーとは何なのだろう。生長には食物が必要である、さて人の成長に必要もの。ここで誤解を恐れずに言うとすれば、僕にとっての成長はやはりクレーの芸術であろう。クレーの作品集が座右にあるだけでいいのである。という思いである。

 


スケッチブック

2018-03-21 | 日記

      

いただいたスケッチブックはバニーコルアート社の “ Cotman Water Colour Paper ” で、表面がなめらかで、僕の好きなPILOT社のボールペン “ HI-TEC-C 3mm ” で描く線がたいへん美しいのである。このドローイングは鉛筆で描いたが、鉛筆の線も走りがいい。一応、萩原朔太郎の肖像画のつもりで描いたが、岩波文庫版の『萩原朔太郎詩集』の表紙の写真からである。肌寒い曇り空の春分の日だったが、このスケッチブックのおかげで一日が楽しい日になった。ここには固有名詞は書かないが、贈り主に感謝します。この絵の中にも書いた朔太郎 (1886-1942) の言葉をここに書いておく。

          詩はただ病める魂の所有者と孤独者との寂しい慰めである