タチアオイの花

2019-06-30 | 日記

              

今日は雨が強かったから、わが刈谷田川の流れはその大水量を流して濁流になった。明日からは7月になる、もう半年が過ぎるのかと思うと、この年齢になると余りにも月日が早いのである。特に、今時分になるとこのタチアオイの花が目立ってきて、夏の日の少年の頃が、つい昨日のように懐かしく思い出されるのである。タチアオイの花と暑い夏の少年の日。母方の祖母のおやつをくれた時の顔が、今も脳裡に浮かんで来る。哀しいような、嬉しいような、やはりこの年齢になってもこの花が咲く度に思い出すのである。そして今となっては、嬉しい思い出ほど哀しく思い出すのである。整列に立ち並んだ花の中に祖母がいて、時に若い母もいた。この季節が来ると夏草の中に祖母が笑っているのである。少年の僕も夏の花の中で遊んでいるのだった。
午後からは少し雨も上がってきて、夕方にはすっかり雨は上がっていた。雲間には青い空も見えて、川の音も遠くなってきた。そしてカエルの声がだんだんに大きくなってきて、夏の夕暮れが一層僕を、遠い遠い過去へと先導するのである。辺りがだんだん暗さに沈んでくると、それは現在の僕を少年にする時間であった。

           少年は少女の名前を何べんもノートに書いたが、一度もその名を呼べなかった

 


外は雨降り、『高島野十郎評伝』 を読む

2019-06-29 | 日記

          

夕方の田んぼに雨が降っている。午後からは少し雨足が強くなってきたようで、庭のくさむらに雨のあたる音が大きくなってきたのだった。遠くの山には霧か雲がかかって一日が霞んだ墨絵の色である。だから、本を読むにはとてもいい土曜日になった。川崎浹著『過激な隠遁 高島野十郎評伝』(2008年 求龍堂刊) を読む。まだ昨夜から読み始めたばかりだから、途中である。この本に出合ったのはつい最近のこと。先日、東京のギャルリー412で開催された「 新井美紀ーガラス絵展 」に川崎先生ご夫妻が見に来てくれていたからである。このことは展覧会終了後に新井さんから伺った話で、僕はお会いできなかったが、川崎浹 (かわさきとおる 1930年生) 氏は60年代学生運動のバイブルとなったサヴィンコフ著『テロリスト群像』を翻訳したロシア文学研究者として夙にご高名である。サヴィンコフ (1879-1925) はロシアの革命家にして文学者、自死したという。
川崎氏は、この孤高の画家・高島野十郎 (本名・高嶋彌壽たかしまやじゅ 1890-1975) との偶然の出会いから40歳もの年齢差を越えて、生涯のよき理解者となったのである。画家は東京帝国大学農学部水産学科を首席卒業したエリートだったが絵画への道は捨て難く、実にそのエリートコースを断ち切って、独学の困難な画家への道を選ぶのである。今でこそ高島の名前は知られているが、僕がまだ若い頃、東京の画廊をウロウロしていた当時は、僕のサラリーの何分の一かで高島の作品は買えたのだったが、つい今日届いたばかりのオークション・カタログにたまたま掲載されていた板に描かれた油彩画サムホール・サイズ (22.5×15.5cm) は、 何と!その落札予想見積価格は ¥10,000,000~¥15,000,000 であった! やはり高島の代表作の『蝋燭』である。それにしても! である。世間は一体どうなっているんだ! と思ばかりである。何とか買える値段を期待していたのだったが、イヤハヤ!イヤハヤ! 時代は打算的になってきた … と思わざるを得ないのだった。
というような話は抜きにして、一人のロシア文学者が、偶然の出会いから、これも運命とでもいうのだろうか、そして同郷とはいえ (お二人とも福岡県出身) こういう専門外の本を書かれて、そしてまた縁あって僕のような者がこの本に出会って、改めて画家の生き方、絵画というものを考える機会をもらったというのは、本当に有難く思うのである。
この本には高島野十郎が遺した『ノート』が掲載されている。その一節。

                 誰がためにここには咲くぞ山櫻、又音もなく散りはてし行く、

                 誰がために咲くや山奥山櫻、又音もなく消え散りて行く

そして彼の歌。

                 花も散り世はこともなくひたすらに ただあかあかと陽は照りてあり

                 花も散りし今日ぞ春雨ふり降りて 薬師の塔にしづくたらせよ


 


絵画 “ アンテア ”

2019-06-27 | 日記

           

イタリア・マニエリスム時代を代表する画家、パルミジャニーノ (1503-1540) のタブローである。題名は “アンテア” 。画家の恋人の名前かそれとも妹の名前か、いずれにしても画家に愛された女性であることには変わりない、という。ということらしいがここに何故掲載したかといえば、以前このブログにも書いたことだが、ジョセフ・コーネル (1903-1972) がそのボックス作品にこの絵を引用していて、僕は、この冷静な顔立ちにとても魅かれるものがあった。目の表情が無垢にも見えて無知のようでもあって、また教養深きまなざしのようでもある。感情を殺して、知性を際立たせるポーズなのか。着衣の深いスリットから女性性を見せて、でもやはりノーブルである。俗と聖の二面性を描くか。コーネルの作品名では『無題 (ラ・ヴェラ [パルミジャニーノ] ) 』となっている。また僕には、この画家の絵が竹久夢二 (1884-1934) の描く女性にも近いように思われて、イタリアルネサンスも大正ロマンも一緒くたにしているのである。人の命は短くて芸術は長い、パルミジャニーノもまた永遠の女性を遺し、短命であった。超感性を持つコーネルは500年前の女性に見つめられているのを喜びとして、その喜びと美しいを古色のボックスに封印しようとしたのかも知れない。「ラ・ヴェラ」とは「美しい」というラテン語だという。
またここに、仏蘭西十九世紀の偉大なる作家・詩人ヴィリエ・ド・リラダン (1838-1889) が書いた短編小説『ヴェラ』がある。最後の部分を斎藤磯雄 (1912-1985) の訳文でここに掲載しておくこともまたいいのではないだろうか。

… 伯爵は振返った。すると彼處(かしこ)、彼の目の前に、意欲と追憶とによって創造せられて、滴るばかりに、薄紗の枕の上に肱をつき、手にはその重き黒髪を支へ、愛欲の楽園とも見ゆる微笑に、口もとを心地よげに綻ばせて、死ぬほど美しい、伯爵夫人ヴェラが、遂に! いまだ醒めやらぬ眼に、恍として彼を凝視(みつ)めてゐた。…

このブログ上では、伯爵のことをコーネルと読み変えてもいいかと思う。伯爵夫人ヴェラが、遂に! 恍としてコーネルをみつめていた … のである。コーネルの意欲と追憶とによって創造せられた死ぬほど美しきヴェラ! どうもいけないと思うが、ここでも僕はリラダンとコーネルを一緒くたにしてしまった、のだった。

 


本という名の、オブジェ (2)

2019-06-26 | 日記

           

竹久夢二の装画・装幀作品集『春の夜の夢』(800部特装限定版412番 昭和43年 龍星閣刊) 。竹久夢二 (1884-1934) が約30年間に描いた書籍、雑誌、音符誌などの装画350図を収録する。「夢二はその51年の生涯を全く装本美術 (装画、装幀、挿絵) に終始したといってもよい。したがって本書は、夢二の仕事の本領を集めたものである」とある。そして「編集者付記」に発行者の澤田伊四郎 (龍星閣創業者 1904-1988) はこんな風に書いている。

装画は書物の顔である。その表情は書物のいのちをささえる。夢二の装画は、いつも書物を美しく生かしてきたが、本書の一つ一つは、装画である以上に、夢二のいう「内的生活の感覚」を写した心象画ともいうべきであろう。
したがって『春の夜の夢』は、かつての日、若い人々が、夢と希望と哀感をこめて読みふけった数々の書物の装いであり、晴着でもある。そのころの少年少女は、いまどこに、健在であろうか。多彩にくりひろげられる絢爛たるこれらの抒情画は、ほのかに過ぎた春の夜の夢を、いまいちど思いかえさせるであろう。

写真は秩の表である。「夢と希望と哀感をこめて」踊っている3人はクロスの切り絵になっていて、躍動感ある造形になっている。本体は皮革装幀で、天金。勿論、夢二の署名は無い。
アメリカの現代作曲家モートン・フェルドマン (1926-1987) のCD『ロスコ・チャペル』を掛けながらこの本を開いている。30年くらい前から気にかけていたCDだったが、やっと手にいれることができた。そんなには夢中になって探してはいなくて、ま、出会ったら程度に考えていて、幸運にも出会ってしまって、今日に届いたのである。何と言ってもこのCDのジャケットがロスコの絵なのである。閑話休題。ということで、昨日のブログに続いて「本という名の、オブジェ」になった。ここに夢二の「ゆうぐれかた」という詩が載っているのでここに写しておく。

                     やくそくもせず

                     しらせもなしに

                     ひがくれる

            
                     やくそくもせず

                     しらせもなしに

                     なみだがでる

                     ゆうぐれ

 


本という名の、オブジェ

2019-06-25 | 日記

              

加藤楸邨句集『怒涛』(百部限定特装版 昭和62年 花神社刊) 。本は佇まいがいい。机上にあるだけでも (この際、内容は問わない) いい本はいいのである。何がいいのか? それは傍にあるだけでいいのである。「いい」という言葉を多用したって、「いい」ということではないけど、しかし、理由なくいいのである。表題に『怒涛』とあれば、ここに怒涛なる世界がある。楸邨 (1905-1993) という俳人が創出する怒涛なる世界がここに閉じられてあって、正に表紙を開けば机上の静かさの上に一人の人間の鮮烈が波打つ。また本を閉じれば、水の静寂を聴くのである。
誰にも怒涛はあるかも知れなくて、遠く、夜の闇の中で一匹の蛙が鳴いている。仏壇に活けた白い芍薬の花はもう散ってしまった。今日は母の月命日である。何もしなかった。

                   鳴く声は怒涛静まる天の川