牛の声
涼しい春の朝、フトンの中で20世紀初頭パリのオデオン通りの書店を覗く。アドリエンヌ・モニエ著 岩崎力訳 『 オデオン通り 』 ( 1975年河出書房新社刊 ) を読む。第一次世界大戦のさ中1915年、一人の文学少女だったパリジェンヌがセーヌ左岸オデオン通り七番地に本屋を開いた、 『 本の友の家 』 。時代を作った作家や詩人たちが集った。ジイド、ラルボー、クローデル、プレヴェール、レリス、ブルトン、サティー…。ポール・ヴァレリー ( 1871~1945 ) がモニエ ( 1892~1955 ) に書いた手紙の一節、
余人は牧場を好む だが賢人の最たるものは あなたの店に赴いてバラを否認する おお モニエ嬢よ!
この写真は牛の陶製置物です。なぜ牛かというとこの本に、 「 1915年末の最初の嬉しい出来事、それはポール・フォールが訪ねてきてくれたことだった。…若い娘にとって、生身の詩人の代表として彼以上の人はいなかった。長髪の頭に緑の平らな帽子をかぶった彼の話振りは華やかだった。その暮らしぶりは自由そのもの、まったくこだわりがなく、本当のボヘミヤンそのものだった。高名なボヘミヤンそのものだった。それに私は彼のバラードを読んだことがあり、大変彼を尊敬していた。 『 捨てられた礼拝堂 』 は私がこの世でもっとも愛する詩のひとつだったし、いまもそのことに変わりはない。私たちはしばしば “ 牛の声は牛の中にある ” と言っては楽しんだものだったし、それは人生を確固たるものにするおまじないのように思われた 。」 という文があったからで、たまたま李朝箪笥の上にこの置物があったからに他なりません。
春の朝にこの本を読むことは、先のヴァレリーの手紙の続きにならうと、読者として 「 その一人であることに 心からなる幸福をおぼえつつ 」 。