アグネス・マーティン と 『 萬鐵五郎展 』

2017-09-30 | 日記

       

      

2015年にテームズ&ハドソン社から出版された  “ Agnes Martin : Her Life and Art ”  の表紙と1953年頃のアグネス・マーティン ( 1912-2004 ) のポートレートである。この画家の絵が好きだったこともあったから、日本語版画集を手に入れたいと思うけど、日本ではまだまだアグネス・マーティンの画集にお会いできてないのが現状。アメリカの女流画家ではこのマーティンの他に僕が好きなのはリー・クラズナー (1908-1984) 、ヘレン・フランケンサーラー (1928-2011) である。この二人の画集も日本語版ではほとんど見たことがない。

今日は新潟県立近代美術館 (長岡市) で『 萬鐵五郎展 』を見てきた。近代美術館に行ったのは相当に久し振りだった。見ている時は自分でも気付かなかったが、家に帰った時には結構クタビレタ感があった。今回たくさんの萬 (1885-1927) を見て思ったことは、萬は1912年以降の風景がいいのである。特に1918年頃の風景画における独特のフォルムの発見と先天的色彩感覚の抜け切らないのがいい。画家の色彩は補色関係にある緑色と朱色のこの二色に集約される、と思う。この二色の色から抜け切れなかったのである。これが萬の悩ましい地下水である。この地下水で絵を描いたのだ、と思うのだ。絵描きでなくとも、人には持って生まれた地下水 (暗渠と言ってもいい) というものが流れているのである。そして人はまれに、井戸を掘り進めてその地下水を汲み上げる。このまれ人が萬鐵五郎という画家になったのだった。画家は42歳という決して長くはない生涯、むしろ、その短かった生涯そのものを “ 実験工房 ” として生きたように思うのである。今日は萬鐵五郎の “ 全集 ” を、短時間の内に読ませてもらったような思いであった。別室では館のコレクションが掛かっていたが、その中の一点に萬と同年代の坂田一男 (1889-1956) のキュビズムの手法で描かれた裸婦像があったが、この絵はとても垢抜けていて、今回、萬のそれと比較できてとてもいい機会だった。

 

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夜の珈琲

2017-09-29 | 日記

         

真夜中の珈琲時間。犬の文様がついたカップ。このカップは昔、東京・目黒のインテリアショップで買ったもので、磁器製のドイツ製水差しもある。珈琲をすると眠くならないと言うが、しかし実際にはそんなことはなくて、僕は割合に眠りに誘われることが多い。歴史的建造物のように我が精神を安定させてくれる。だから夜中の珈琲は美味しいのである。そして今夜の音楽は、四年前の誕生日プレゼントにもらったCD『 辻井伸行ピアノ THE BEST 』をかける。この中で、フレデリック・ショパン (1810-1849) の「ノクターン第8番」が今夜のコオロギの歌である。そしてコオロギの歌、

           深い夜マノン・レスコー・ボヴァリー夫人行きずりのひと灯火に来たる

 

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夕陽

2017-09-28 | 日記

     

帰宅途中、6時前の夕陽。午前中は雨降りで、午後から雨も上がったが肌寒い日だった。ちょうど太陽が山際に沈む直前のまぶしいくらいの夕陽。雲の色も複雑な色彩だった。雨が上がった雲の隙間から、透明な青い空が気持ちいい。僕は車を路肩に止めて外に出る。僕は深呼吸をしてから、太陽が隠れないうちに写真に収めるのだ。昔、朝日新聞だったかに加藤周一 ( 1919-2008 ) の時事評論集『夕陽妄語』が連載されていて、興味深く読んでいたものだった。もう何年前になるのだろう。一日の終わりには、確かに太陽は西の空に沈んで行くのは、それはそれで自然なのである。そして一日の名残りを惜しむのは、あながち無駄なことではないと思う。

 

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アジサイ一輪

2017-09-25 | 日記

         

この絵は、母が入院していた時に描いて病室に掛けていたもの。花は置けないというので、絵に描いた。殺風景な病室の、間に合わせのフックに掛けられた絵は、母がとても喜んでくれたのである。枯れかかっている紫陽花を選んだのは、でも、理由はない、… が、母ももうカレテしまったように、盛りの花も時が来れば枯れてゆき、自然とはそういう現象なのであった。枯れたものは枯れたものでも、それはそれで生命現象の過程で、その過程に出会うことは、これはこれで “ 変容する美 ” との出会いである。生命するとは、死への変容過程のことだろう。僕もだんだん枯れて行く。それを僕は愛おしむ。この絵に添えた一首。

          枯れ残るアジサイ一輪ビンに差す茜にそまる君がまどろみ

 

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秋晴れの空に

2017-09-24 | 日記

     

今日は一日いい天気で、少々暑いくらいだった。布団を干しに出て屋根を見上げると、軒下のあちこちに蜘蛛の巣が張り巡らされていて、その透明な糸には小さな虫が餌食になっている。緑と黒の斑の大きな体の蜘蛛が巣の中心で足を広げている。山に囲まれた静かな風景も、蜘蛛の巣の上の小さな虫たちの死骸も、秋の日の青空に浮かんでいる。斑の蜘蛛と薄い雲と青い空。

 

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