2015年にテームズ&ハドソン社から出版された “ Agnes Martin : Her Life and Art ” の表紙と1953年頃のアグネス・マーティン ( 1912-2004 ) のポートレートである。この画家の絵が好きだったこともあったから、日本語版画集を手に入れたいと思うけど、日本ではまだまだアグネス・マーティンの画集にお会いできてないのが現状。アメリカの女流画家ではこのマーティンの他に僕が好きなのはリー・クラズナー (1908-1984) 、ヘレン・フランケンサーラー (1928-2011) である。この二人の画集も日本語版ではほとんど見たことがない。
今日は新潟県立近代美術館 (長岡市) で『 萬鐵五郎展 』を見てきた。近代美術館に行ったのは相当に久し振りだった。見ている時は自分でも気付かなかったが、家に帰った時には結構クタビレタ感があった。今回たくさんの萬 (1885-1927) を見て思ったことは、萬は1912年以降の風景がいいのである。特に1918年頃の風景画における独特のフォルムの発見と先天的色彩感覚の抜け切らないのがいい。画家の色彩は補色関係にある緑色と朱色のこの二色に集約される、と思う。この二色の色から抜け切れなかったのである。これが萬の悩ましい地下水である。この地下水で絵を描いたのだ、と思うのだ。絵描きでなくとも、人には持って生まれた地下水 (暗渠と言ってもいい) というものが流れているのである。そして人はまれに、井戸を掘り進めてその地下水を汲み上げる。このまれ人が萬鐵五郎という画家になったのだった。画家は42歳という決して長くはない生涯、むしろ、その短かった生涯そのものを “ 実験工房 ” として生きたように思うのである。今日は萬鐵五郎の “ 全集 ” を、短時間の内に読ませてもらったような思いであった。別室では館のコレクションが掛かっていたが、その中の一点に萬と同年代の坂田一男 (1889-1956) のキュビズムの手法で描かれた裸婦像があったが、この絵はとても垢抜けていて、今回、萬のそれと比較できてとてもいい機会だった。