冬の日

2018-02-22 | 日記

        

西脇順三郎の詩集『近代の寓話』の中に「冬の日」と言う詩がある。それを途中まで書いてみる。

       

       或る荒れはてた季節

       果てしない心の地平を

       さまよい歩いて

       さんざしの生垣をめぐらす村へ

       迷いこんだ

       乞食が犬を煮る焚火から

       紫の雲がたなびいている

       夏の終りに薔薇の歌を歌つた

       男が心の破滅を嘆いている

       実をとるひよどりは語らない

       この村でラムプをつけて勉強するのだ。

       「ミルトンのように勉強するんだ」と (以下略)

 

「ミルトンのように…」というフレーズがグッとくるナ…。それも “ この村 ” で。今朝はいい天気になった。この晴れた雪景色の中で、“ 薔薇の歌を ” 歌いたいような気分である。青い空に薄く小さい雲が数片ゆっくり流れているのが、「冬の日」というに相応しいように。

 


雪の日にはプルーストを読む

2018-02-17 | 日記

      

窓の外は吹雪である。この時間は午後4時半になるけど、朝から止むことなく雪が降っていて時には風が強く吹いて、ガラス窓には雪がへばりついている。一日中雪に閉ざされた土曜日になった。今年はこういう日が何日もあって、近年になく大雪になったから、だから先月、今月と冬眠生活になった。だから本も、長編小説なんかを時間を気にせずに読めるのである。そこでやっぱり、プルーストを読むにちょうどいい冬眠なのであった。前にもこのブログに書いたことだが、僕は光文社古典新訳文庫で出ている高遠弘美訳の『失われた時を求めて』を読んでいる。20世紀初頭のフランスのブルジョア社会の人々の、またそんなにドラマチックな話がある訳でもない、いわば他愛のない会話が延々と描かれている、当時の社会に生きる貴族の生活やなんかのことが書かれている、現代に生きる僕にはほとんどと言っていいくらいに、それよりも全く関係のないお話なのだけど、だけど読んでいると時間が豊かに流れているのを実感するのである。僕自身がそれをとても不思議に思うのであるが、小説の中に入り込んでゆく自分を楽しいと思うのである。雪の中に居て、吹雪く窓外に目を休めてピーナッツを頬張ってコーヒーを飲む、この時間こそがプルーストの小説時間とシンクロしているのかも知れない、と言う読書時間は、僕に曰く言い難い喜びを与えてくれている。吹雪でも大雪でも、机上にはプルーストの本がある。

 


家具メーカー “ TECTA ”

2018-02-16 | 日記

      

先日、インテリアのセレクト・ショップ “ S.H.S ” でこの冊子を見つけた。本屋さんにはこういうカタログ的な冊子は置いていないから、やはり家具屋さんである。ところで 、“ TECTA ” というのはドイツの家具メーカーで、「バウハウス、最後の目撃者 “ TECTA ” 」という副題を持つこの冊子は㈱アクタスから出版されている。著者の山田泰巨(やまだよしなお 1980年生)氏はフリーランスの編集者。ワインレッド一色の表紙が気に入って、一冊いただいてきたのである。この冊子もブックスタンドに立て掛けておくと、ちょっとカッコいいインテリアになる。

TECTAはバウハウスの精神を今に受け継ぎ、優れた家具を提供していて、現在ではバウハウスのオリジナルデザインの家具約20点を製造する。そして、その全てにバウハウスのアーカイブであることを証明するステッカー、「Original Bauhaus Model」というのを貼っているという。

 


冬ごもり

2018-02-12 | 日記

      

車道から入った路地は人力で雪を除けるしかないから、その雪かき作業が大変である。奥に見える家の高齢の主人は、朝から道づくりのためにせっせと雪かきをしていた。小さな水路に雪を捨てるのであるが、流水量があまりないので雪をつつきながらまた捨てながら、日がな一日玄関まで開通するまで続けなければならないのである。雪は体力も鍛えてくれて、春を待つ忍耐力をも与えてくれるようだ。それにしても、よく降るのである。人の暮らしは気象を避ける訳には行かないのだから、雪も気象の一つと思えばそれは受け入れなければならない。それで、受け入れれば雪も、時に観賞対象物になりまた環境を作るから、今日の午後は僕にとって吹雪の雪も今の環境なのである。それで、部屋を暖かくして荷風の随筆を読む時間である。岩波書店発行の昭和47年版『荷風全集 第14巻』より「鈴木春信の錦絵」からの一節を書く。

(およそ)芸術の制作に関するや、殊に東洋の美術に於いて、科学の知識の必要なるや否やに就きては容易に断言する事能はざるものあり。春信の板画の幽婉高雅にして詩味に富めるは寧ろ科学の閑却に基けるものゝ如し。春信の男女は単に其の当時の衣服を着するのみにして其の感情に於いては永遠の女性と男性とに過ぎざるなり。さるが故に今日の吾人に対しても猶(なお)永久なる恋愛の詩美を表現する好個の象徴として映ずる事を妨げざるなり。不自然なる姿勢は幽婉の境を越えて屡(しばしば)神秘となり、これに配置せられたる単純なる後景は恰もパストラル曲中の美なる風景に等しく両々相伴うて看者の空想を音楽の中に投ぜしむ。かの爛漫たる桜花と無情なる土塀と人目を忍ぶ少年と艶書を手にする少女と、嗚呼(あゝ)此の単純なる物象の配合は如何に際限なき空想を誘起せしむるか。柳しだるゝ井のほとりに相対して黙然として見るべからざる水底を窺ふ年少の男女、そも彼等は互の心と心に何をか語り何をか夢見んとするや。今若し此等の図にして精密なる写生の画風を以てしたらんには特殊の時代と特殊の事相及び感情は忽(たちまち)看客(かんかく)の空想を束縛し制限すべし。春信は寔(まこと)に最小の手段によりて最大の効果を得べき芸術の秘訣を知りたる画家たりしと謂ふ可し。

 


猛烈に降る、そしてマリ

2018-02-05 | 日記

         

      

今朝から猛烈に雪が降っているから、この際はシビレる他ないのである。窓からのいつもの光景が雪に霞んでいる。 “ 定点観測 ” 的な昨日の写真を見れば、雪が如何に降っているかがよく分かる。それでやっぱり今日も、ピーナッツを食いながら(もう少しでピーナッツ缶が底をつくから、無くなるまで)僕は19世紀のパリをウロツこうと思う。『異都憧憬 日本人のパリ』を読む。それで、この本で紹介されている、若きロシア人女性画学生マリー・バシュキルツェフ(1858-1884)が遺した『日記』が読みたいと思った。彼女がパリに出て、女性にも門戸を開いていた唯一の画学校、アカデミー・ジュリアンでの日々の生活と、どんな思いで画家を目指していたのかが読みたいと思ったからである。男女不平等の世紀にあった当時のパリ暮らし。女性として芸術家になろうとする当時としてはとんでもないその決心!

そして先日、日本で翻訳された大正15年刊行の野上豊一郎訳『マリ・バシュキルツェフの日記 上巻』及び『日記 下巻』(こちらは昭和3年刊)を「日本の古本屋」サイトで僕は入手できたのだった。天金で濃緑色のハードカヴァー本が届いたのである。『日記』は1873年から始まり1884年10月20日で終わっている。そして、芸術家としてのタブローとドキュメントとしての文学的気品ある『日記』を後世に残して、ロシア貴族の娘にして美貌の彼女は10月31日に26歳で死んだ。肺結核だった、という。『日記』には序文(パリにて、1884年5月1日)が書かれてあり、その冒頭を引用する。

欺いたり気どったりして何になろう?ほんとうに、私はどんなにしてもこの世の中に生きてゐたいという、望みでないまでも、欲望をもつてゐることは明らかである。もし早死にをしなかつたなら、私は大芸術家として生きてゐたい。しかしもし早死にをしたらば、私のこの日記を発表してもらひたい。これはおもしろくない筈はない。 — けれども私が発表のことを云つたりすると、読まれたいといふ考えが或はすでにこういふ書の唯一の価値を傷つけ破りはしまいか?いや、決して! — なぜといふに、第一、私は長い間読まれたいといふ考なしに書いてゐた。次に、私が飽くまでまじめであるといふのも、つまりは読まれたいと思ふからである。もしこの書が正確な、絶対な、厳正な真実でないならば、存在価値(レーゾン・デートル)はない。私はいつもただ、私の考へてゐるだけのことを云ふのみではなく、また或は、私を滑稽に見せるかも知れず、私の不利益となるかも知れぬことをも隠さうと思つたことはなかつた。… ここに一人の人間があって、子供の時からのすべての印象をあなたに話すのだと。それは人間の記録(ドキュマン・ユマン)としておもしろからぬ筈はありません。ムッシュ・ゾラにでも、ムッシュ・ゴンクールにでも、またはモオパッサンにでもお聞きなさい。私の日記は12歳の時から始まって15,6歳から幾らか価値を持ち始めます。だから埋めらるべき空虚があるわけです。それで序文のやうなものを書き添へて、読者をしてこの文学的な人間的な記録を辿るに便利ならしめやうと思ひます。… 

            1876年(18歳頃)のマリ