「現実よりも真実な美の世界」

2013-03-31 | 日記

                  

最近、ドナルド・キーンの視点が面白く、かつ文学に対してちょっとフレッシュな見方を教えられている、ような気が、どうも僕はしているようなのである。まわりくどい表現で申し訳ないが、キーン氏はどうも日本文学に対して、日本の文学者にはない視点を持っているようなのである。ということが、改めて 『 著作集 』 を読んでいると感ずるのである。単行本を拾い読みしている時はあまり感じないのだが、こういう著作を通読しているとその空気感というものが、言ってみれば “ キーン・エアー ” なんていうものがあるのなら、そういうエアーが流れているのである。

『 源氏物語 』 を論じて、その物語の世界がロマンだとは知ってはいても、彼はそういう疑いをしない、彼はこれも現実の世界であると信じて疑わないのである。そして 「 『 源氏物語 』 はいつまでも変わらぬ価値ある作品である 」 と断ずるのである。

「 どうして紫式部がそれほどすばらしい小説を書くことができたのか、私にはわかりません。しかし紫式部がほかのどの人より美に関して敏感であったことは、争えない事実でしょう。どんなものを見ても、そのなかにある美を見つけることができました。そして自分の周囲にある美、平安朝の宮廷にある独特の美を見て、それを書いたわけです。未来の人間の立場からいうと、彼女は永遠の美を創造したといえるでしょう。その永遠の美は、どんなことがあっても変わらないだろうと私は思っています。」

現実の社会では無礼なことや嫌悪すべきこと、俗悪なこと、人間性を疑われるような行為が圧倒的に多いことの中で、むしろ日常生活がそういうことに満ち満ちているならなお更に、美だけで成立する世界を、創作家としてストーリーテラーとして構築したのだろう、とキーン氏は考える。だからキーン氏は、「 現実の世界 」 に対等して必ず 「 美の世界 」 があるに違いない、と疑わなかったのである。前の世界大戦のさ中、彼のその確信が 『 源氏物語 』 だったのである。そして、キーン氏のような視点に支えられて原文をたどたどしく読んで行くことも、これもまたひとつの僕の幸福に違いない、と思うのである。

 


女の肖像画

2013-03-28 | 日記

                                 

「 人間の真実というものはない。美というものはなく、確実さというものはない。何一つとして磨耗や、混合や、滅亡から免れるものはない。流出と変換とは生命の原理そのものである、なぜならそれらは死の原理でもあるのだから。物質的なものであろうと、精神的なものであろうと、何ものも永続するようにできてはいない。この女の歌う声のように、彼女が用いていた言葉のように、彼女の生命にリズムをつけていたデリケートで感動的な音楽のように、苦痛と快楽の総和のように、彼女の肉体とわれわれの肉体は破産に瀕さねばならないのだった。ここにおいて、物質と精神 、具象と抽象は、変換作用という、同じ一つの、限りない拡がりのうちに合流し、そして溶け合い、そして重なり合うのだ。」  ル・クレジオ著・豊崎光一訳 『 物質的恍惚 』 より

 


PAUL KLEE SPIRIT

2013-03-25 | 日記

              

    パウル・クレー 『 「 悲嘆にくれる子の踊り 」 のためのデッサン 』 1921年

「 現実はほんとうに汲めども尽きない。一つ一つの物は現にそこにあり、きらきら輝いて、その本性の中にうめ込まれている。線はどれも引かれ、色彩はどれも光る、力強く、やわらかく。それらがどれもこれもみな見える。ただの一つも見落とされない。固定して、いとわしくも天国的に固定している。豊かさというものはない。貧しさというものはない。それは現実の平面図で、ちょうど細い銅版の画のよう、まるまった小さな記号がいちめんに書いてあるページのよう、そしてぼくはというと、言い表わすことができないけれども、それでも本当なのだ、ぼくが、ぼくの思考や、ぼくの中に閉じこめた死を持っていて、山ではなく、雲ではないけれども、またそれらのあいだにしるしづけられてもいるのは、ぼくが混じり合い、ぼくが住処を持っているのは。

ぼくはぼくがあるところの者で、過去もなく未来もなく、逃れゆく時を、ぼくの真実を持っていて、まったく一時的な、はっきり描き出され、すっかり取り囲まれた者だ、そしてぼくには隣人たちがいる。そしてぼくはこう言おう。」

     「 無限に大きなものと無限に小さなもののあいだには、

        無限に中ぐらいのものがあるのだ、と。」

          ( ル・クレジオ著・豊崎光一訳 『 物質的恍惚 』 から引用 )

僕の中にはあらゆるものが閉じこめられている。醜いものも美しいものも、猜疑も信頼も、小さなものも大きなものも … もう、面倒くさくなるくらいにあらゆるものが! 閉じこめれてあるのだ。生も死も僕の中に住みついている。だけど、僕はその中の何を開放するのか! ここに僕というスピリットが発生する。

 


今日から

2013-03-24 | 日記

また夜のウォーキングを始めた。まだ雪の多く残る道端に夜は冷えて行く。刈谷田川の清流は今は割りと静かに流れているが、もうじき雪解けが急かされて、轟音を発するだろう。今夜は雲が厚い。

          春の夜に耳を澄ませば泣く声はこころの奥に閉じられしもの

 


LES MASQUES DU PICASSO ( 2 )

2013-03-23 | 日記

           

                                   彼女の漣のような髪に触れてから

                  彼女の水平線のような瞳から

                  彼女の赤い薔薇の唇から

                  春の朝が始まる。