最近、ドナルド・キーンの視点が面白く、かつ文学に対してちょっとフレッシュな見方を教えられている、ような気が、どうも僕はしているようなのである。まわりくどい表現で申し訳ないが、キーン氏はどうも日本文学に対して、日本の文学者にはない視点を持っているようなのである。ということが、改めて 『 著作集 』 を読んでいると感ずるのである。単行本を拾い読みしている時はあまり感じないのだが、こういう著作を通読しているとその空気感というものが、言ってみれば “ キーン・エアー ” なんていうものがあるのなら、そういうエアーが流れているのである。
『 源氏物語 』 を論じて、その物語の世界がロマンだとは知ってはいても、彼はそういう疑いをしない、彼はこれも現実の世界であると信じて疑わないのである。そして 「 『 源氏物語 』 はいつまでも変わらぬ価値ある作品である 」 と断ずるのである。
「 どうして紫式部がそれほどすばらしい小説を書くことができたのか、私にはわかりません。しかし紫式部がほかのどの人より美に関して敏感であったことは、争えない事実でしょう。どんなものを見ても、そのなかにある美を見つけることができました。そして自分の周囲にある美、平安朝の宮廷にある独特の美を見て、それを書いたわけです。未来の人間の立場からいうと、彼女は永遠の美を創造したといえるでしょう。その永遠の美は、どんなことがあっても変わらないだろうと私は思っています。」
現実の社会では無礼なことや嫌悪すべきこと、俗悪なこと、人間性を疑われるような行為が圧倒的に多いことの中で、むしろ日常生活がそういうことに満ち満ちているならなお更に、美だけで成立する世界を、創作家としてストーリーテラーとして構築したのだろう、とキーン氏は考える。だからキーン氏は、「 現実の世界 」 に対等して必ず 「 美の世界 」 があるに違いない、と疑わなかったのである。前の世界大戦のさ中、彼のその確信が 『 源氏物語 』 だったのである。そして、キーン氏のような視点に支えられて原文をたどたどしく読んで行くことも、これもまたひとつの僕の幸福に違いない、と思うのである。