闘う牛

2010-04-28 | 日記
今日から 『 第84回国展 』 が5月10日まで、六本木国立新美術館で開催されます。この作品は知足院美加子 ( ともたりみかこ ) さんの 『 山古志の角突 』 。今回、損保ジャパン奨励賞を受賞した作品です。木彫ですが、ある魂が迫ってくるような大変迫力のある造形です。
長岡から会場まで行ってきました。作家ご本人にもお会いできました。

名古屋、大阪巡回後、この牛は作家の気高い精神により、山古志村闘牛のかつての名横綱 『 景虎号 』 オーナー 「 割烹旅館 丸新 」 に寄贈されます。山古志の人々にまた一つ美しいファイトをもたらすだろう。


光のジョセフ・アルバース

2010-04-27 | 日記
朝の光に透かされたカーテンロール。まるでJOSEF ALBERS ( 1888-1976 ) の絵画のよう。バラガンの自邸サロンにかかるアルバースのイェローの正方形絵画のようです。
そう思うのは僕の幻想に過ぎない。だけどこの幻想はいろいろなイーメージをもたらしてくれます。

朝は朝日のイリュージョンと共に春眠を惰眠す。


池のほとりに

2010-04-26 | 日記
悠久山公園・泉翠池のほとりに、やはり灯篭がありました。先日のコメントの中に、自分の祖父が作った灯篭があるので機会があったら寄ってみて、というのがありました。行ってきました、確認できました。泉翠池の番人のように建っていました。足の下のネームプレートに作者の名前あり。

贈 / 長岡市村松町 / 石匠 大橋平治        

とあります。石匠を祖父にもつのは、今東京で活躍している長岡市出身の建築家・大橋英俊さん。
この灯篭は雪見灯篭、元来は水面などに明かりを灯す。花の夕暮れに灯篭の灯りをともせば、時代は瞬時に時空を越えて18世紀京都の春。

 春のくれつくしの人と別れけり
 春の夕 ( くれ ) たえなむとする香 ( こう ) をつぐ
( 尾形仂校注 『 蕪村俳句集 』 岩波文庫版より )


桜花満開

2010-04-24 | 日記
今日の空払うが如く晴れわたりしが、寒冷また昨日の如し。卯月も二十日余り過ぎし未だに朝夕わかちなく寒気あり。気温低きため、悠久山公園の桜花も開くに躊躇せし。しかあれど今日の晴天に至りて皆開花す。近隣の花木もまた然り。白き花赤き花黄色の花一斉に咲けり。逍遥せし人々多くあり、また露天の屋台に男女蝟集す。

池のほとりにある桜の老樹、春の陽炎の情景として好色なり。さながら荷風散人に寄り添う踊り子数人の趣なり。
1パック5個入り600円なりの花見団子、桜の樹の下では実に美味であった。これも春という季節がもたらす陽炎であろう。

蒼柴神社の祭壇に拝礼する女と男。女は妊婦であった。男は神妙であった。僕もまた敬虔であった。
春は花を咲かすのを忘れなかった。


ルイス・カーン

2010-04-23 | 日記
何故か今日は LOUIS KAHN ( 1901-1974 ) の住宅のことが気になっていました。昨夜、就寝前にこの本 ( 齋藤裕著 『 Lous I. Kahn Houses 』 TOTO出版 ) を見ながら眠りについてしまったからなのでしょう。住宅はやはりフィッシャー邸が僕にとっても一番好きなものの一つです。

この本でフィッシャー夫妻がカーンの印象を書いています。最初の印象はあまりよくなかったようで、 「 背は低く、黒いジャケットは着古してテラテラ光り、顔には子供の時に負ったひどい火傷の跡がありました。 」 しかしこの第一印象は直ぐに消え去ったようで、なぜならカーンの 「 あふれんばかりの知性と活力、茶目っ気ある温かい人柄に触れ 」 たからです。そして 「 彼が黄色のトレーシングペーパーと黒い木炭を手に仕事に取りかかるやいなや、紙の上には部屋が、家が現れ、そこには人が住まい、美しい環境が浮かび上がってくるのです。 」
フィッシャー邸は設計期間4年、建設期間3年の合計7年を要した、カーンの建築思想が結集した住宅でした。

カーンは光について、こんな意味のことを言っています。
「 ROOM を作る人間の行為は、奇跡にほかならない。なぜなら太陽自身に自らの素晴らしさを気づかせるからだ。窓から差し込んだ自分の光が ROOM そのものになっているという!」