昨日は、おじおば会。
お雛様を飾って、という懇願を、妻に。
泣きそうな顔をして、していた母親も。
本川根の音戯の里では、こんな感じで。
寒いのに寄ってくれて、と一番右の地元の方が喜び。
やわらかなティッシュを、と四ついただき。
今日は寒いから寸又峡まで行くより、道の駅なんかに寄って、ゆっくりくだったらいいかもね。
なんてアドバイスもいただき。
こころとこころのふれあいのプロローグといった次第で。
こころのなかの波立ちは、喜び色に染まり。
ずっと以前、昼食をいただいた「きやんぼう」の前を通り過ぎ。
道の駅「フィオーレなかかわね」へ。
そこでもまた、ジモッティーの方々とさまざま話し。
藤城清治さんという方の影絵を堪能し。
これは、美しかったな。
ついでに、4月に軽井沢行きで、美智子妃殿下若かりし頃。
テニスのあとにいらっしゃった、という「アリスの丘」へのお土産に。
川根名産のお茶を買い求め。
この道の駅にあったパンフレットに、家山の梅園。
なんてのがあり、では、家山へ行こう!とあいなり。
ここは、5年くらい前から、みなさんにお見せしているんです、と。
その前の10年くらいかけて、梅をいろいろ育て、30~40種類くらいなんだそうで。
頂上の売店、ジモッティーそのまんまみたいな、で、ショウガの煮物やら何やら。
おばたちは買い求め。
そうそう、道の駅では、こんな写真も。
さらに下り、定番の掛川道の駅で、またまた、買い物をし。
ここ、小夜の中山へひさしぶりに。
茶店の方と、ここはもと、鈴木家で、わたしは縁もゆかりもないんです。
土日だけ、あけているんです、などなど、おききし。
西行法師の、下の写真の歌について。
最初、39歳でここへきて、その次、62歳で通ったときの歌らしい。
そのときってのは、東大寺が焼けて、大仏さんのための金がほしかったらしく。
例の、東北、平泉へ金を求めに行ったときだったそうで。
蝦夷、アテルイと坂上田村麻呂の戦い、なんてのも思い出し。
としたけて またこゆべしと おもいきや
いのちなりけり さよのなかやま
その後、隣の「灯夢」という美術館へ。
安藤広重の東海道五十三次が何枚もならべられていて。
館長さんが、懇切丁寧に、版画の技法やらアングルについて、説明くださって。
一同、感心しながらおききし。
one pieceの喜びとともの、今月のおじおば会、終了したのでした。
お雛様を飾って、という懇願を、妻に。
泣きそうな顔をして、していた母親も。
本川根の音戯の里では、こんな感じで。
寒いのに寄ってくれて、と一番右の地元の方が喜び。
やわらかなティッシュを、と四ついただき。
今日は寒いから寸又峡まで行くより、道の駅なんかに寄って、ゆっくりくだったらいいかもね。
なんてアドバイスもいただき。
こころとこころのふれあいのプロローグといった次第で。
こころのなかの波立ちは、喜び色に染まり。
ずっと以前、昼食をいただいた「きやんぼう」の前を通り過ぎ。
道の駅「フィオーレなかかわね」へ。
そこでもまた、ジモッティーの方々とさまざま話し。
藤城清治さんという方の影絵を堪能し。
これは、美しかったな。
ついでに、4月に軽井沢行きで、美智子妃殿下若かりし頃。
テニスのあとにいらっしゃった、という「アリスの丘」へのお土産に。
川根名産のお茶を買い求め。
この道の駅にあったパンフレットに、家山の梅園。
なんてのがあり、では、家山へ行こう!とあいなり。
ここは、5年くらい前から、みなさんにお見せしているんです、と。
その前の10年くらいかけて、梅をいろいろ育て、30~40種類くらいなんだそうで。
頂上の売店、ジモッティーそのまんまみたいな、で、ショウガの煮物やら何やら。
おばたちは買い求め。
そうそう、道の駅では、こんな写真も。
さらに下り、定番の掛川道の駅で、またまた、買い物をし。
ここ、小夜の中山へひさしぶりに。
茶店の方と、ここはもと、鈴木家で、わたしは縁もゆかりもないんです。
土日だけ、あけているんです、などなど、おききし。
西行法師の、下の写真の歌について。
最初、39歳でここへきて、その次、62歳で通ったときの歌らしい。
そのときってのは、東大寺が焼けて、大仏さんのための金がほしかったらしく。
例の、東北、平泉へ金を求めに行ったときだったそうで。
蝦夷、アテルイと坂上田村麻呂の戦い、なんてのも思い出し。
としたけて またこゆべしと おもいきや
いのちなりけり さよのなかやま
その後、隣の「灯夢」という美術館へ。
安藤広重の東海道五十三次が何枚もならべられていて。
館長さんが、懇切丁寧に、版画の技法やらアングルについて、説明くださって。
一同、感心しながらおききし。
one pieceの喜びとともの、今月のおじおば会、終了したのでした。
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