アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

特急運用を終えたヒーローたち~EF65P型

2020-11-17 19:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

アントンKが鉄道写真に目覚め、いよいよカメラを持ち出す機会が増えてきたのが、1975年のこと。この年は、北海道で国鉄最期の蒸気機関車がカマの火を落とした年でもある。ここでも、古い画像を性懲りもなく上げているが、この時代は東北線のEF57を撮影の中心にしていた。とは言っても、実質撮影出来たのは、引退までの2年間のみで、今眺めてみても満足な写真は残されていないのが残念。まあ当時本気で撮影したものには間違いなく、思い出も多いし、実力相当だと思えるから後悔もないし諦めもつくというものだ。

同じ思いなのが、東海道線を走る寝台特急、いわゆるブルートレインのEF65P型時代の写真の数々。EF65P型がブルトレから去っていったのが1978年9月のことだから、ゴーナナよりは、時間的猶予はあったものの、当時の行動力では全くダメダメだった。好きな被写体には違いないのに、不完全燃焼な記録に終わり、その大前提に現役蒸機の件があったから、発展途上である当時は、手当たり次第に撮影を楽しんだもの。実際は、撮影手段を身に着け試行錯誤が続いていたこともあった。そして現代、機材がデジタル化され、写真そのものの概念まで変化して、相変わらず試行錯誤が継続中のアントンKなのである。

掲載画像は、今までの華やかさとは裏腹に、地味な貨物列車のけん引を始めた頃のもの。ピカピカの65PFがヘッドマークを掲げてブルトレの先頭へ立つ姿は新鮮だったが、貨物列車の先頭に立つ65P型はどこか落ちぶれて可哀想に思ったものだった。それでもこのお昼間に山手貨物を通過する専用貨物列車で、何度となく65P型に出会いエールを送った。

1978-09-18     1595ㇾ  EF65 528          山手貨物線:渋谷-原宿


重連に牽かれる贅沢な列車旅~EF58+EF57

2020-11-16 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

前の記事で、宇都宮でのスナップ写真を掲載したが、今回は同じ日に撮影した停車中でのスナップ。朝一で栃木まで向かうため、赤羽から普通列車に乗車と書いたが、自分が乗車する列車が、回送とは言え機関車重連でホームに滑り込んできたのを見て、乗るのが勿体ないような、優越感に浸ったような変な気分になったことを思い出せる。しかもパンタグラフは4つとも高々と上げ、大きく弧を描いた編成は荒川橋梁を快調に渡っていく。アントンKもすかさず、その様子を8mmカメラで窓越しから撮影してみた。遠くから続くジョイント音が心地よく、機関車の走行音まで聞こえるではないか。今にして考えると、こんな刺激的な列車旅などもう不可能なことになってしまった。せめて、当時の自分の悪行を忘れてしまう前に綴っておこう。

特急列車の退避のために中線に停車。その間に先頭までいき電機を観察する。異形式とはいえ、やはり重連運転は魅力的に映る。しかも大きなパンタが全部上がり、いかにも誇らしげな表情は時間の経過を忘れさせるのだ。

1976-10-31    121ㇾ  EF58 84+EF57 13        東北本線:間々田駅


慶徳峠への序奏~C57門デフ

2020-11-15 08:00:00 | 鉄道写真(SL)

感染症に振り回された今年2020年も、いつの間にか残り少なくなって、気持ちの上ではもう、来年はどんなことが待ち受けているのか、もっと良い年にしよう、しなくては・・・、と気ばかり早ってしまう。考えれば不安な要素はまだまだ多いが、趣味活動との切り替えスイッチを意識して、心身ともに健全第一で生きていきたい。

学生時代の友人たちと福島を駆け足で回ってきた。現役中も、そして卒業後も幾度も訪れた磐越西線。何年か振りにこの地に入ると、自然と昔話に花が咲く。今のようなラーメンブーム以前の喜多方の街を撮影後訪れ、ラーメン屋を3件続けてハシゴした思い出や、吹雪の中いつ来るか知れない蒸機を待ち死ぬ思いをした苦い経験も、今や水色の思い出に代わっている。こうして同じ顔ぶれでこの地へ来れることが、どんなに奇跡的なことか、今年は特に解るような気がする。昔と違った生活がそれぞれにあり、「鉄」ばかりにかまけていられないはずなのに、こうして同行できる幸せは、何物にも代えがたいものだと思い直しているところだ。

紅葉ピークの磐越西線。狙い通りこの地の美しい風景の中、蒸機を撮影できて満足できたが、帰路については、今の期間特別にC57のデフが門デフへと変えられているので、機関車主体に狙ってみた。区間随一の峠道、慶徳への助走区間、舞台田の築堤をいく門デフ装備のC57180。オレンジ色の夕日が優しく車体を輝かせて、ファインダーの中の情景が目に染みる。この輝きは、アントンKにとって、明日へと希望の光となった。

2020-11   8223ㇾ  SLばんえつ物語号  JR東日本/磐越西線:喜多方付近

 


1号機はいつも特別な機関車!?~EF57

2020-11-12 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

相変わらず古いものが続いてしまっている。EF57 1の画像は、以前にも何度か掲載しているが、当時最も北で撮影したゴーナナの画像は載せていないので、今回はこれで更新する。載せるまでもない画像で心苦しいが、前出の掲載画像の続編ということで勘弁してほしい。ここは、現在も撮影可能であろう蒲須坂の荒川橋梁。宇都宮から普通客車で蒲須坂で下車、ここまでたどり着いたという訳だ。カメラを構えて間もなくやってきたのは、急行「八甲田」だったが、何とEF57 1号機。本音を言えばこの時、やはり2号機以降のパンタが突き出たタイプが来て欲しかったと思われる。何故かこのパッとしない画像を見ると、そんな気持ちにさせられてしまうのだ。

しかしいつの時代でも、機関車の1号機、ファーストナンバーは、どこか他とは違う特別感があり、ファンには人気がある。ゴハチの時代も、雑多な浜松区の中でも1号機だけは、特別視していた記憶があるし、現在でもEH500にしろ、EF210にしろ、1号機と遭遇すると、当たりくじを引いたみたいで、ちょっと嬉しい気分になるのだ。ゴーナナの場合は、単にアントンKの好みの問題で、誰にも当てはまることではないが、一般的に機関車におけるファーストナンバーは、それだけで価値が創造されるラッキーナンバーなのだ。

1976-10-31   102ㇾ  EF57 1     急行「八甲田」 東北本線:片岡-蒲須坂


夢の共演!EF57 & 583系

2020-11-11 19:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

昔の画像を次々と眺めていると、今さらながら色々な悔いが浮かび上がってきてしまう。ゴーナナが好きなら、こんなシーンやあんなシーンと、切りがないほど目に浮かんできてしまうのだ。もちろん当時のアントンKは、写真そのものも駆けだして、ピントや露出を合わせることで精一杯だった。好きな被写体との組み合わせ、あるいは視点を変えた撮り方など、あまりにも手持ちの引き出しがなく、ワンパターンなものが残されているのは、致し方がないことなのだ。それでも当時を思い出すと、ゴーナナが牽く列車に乗り込み、撮影地までの一時を車内から味わい、見知らぬ土地で下車し、撮影地まで散策しながらポイントを探す行動は、鉄チャン冥利に尽きていた。こんな体験が知らぬ間に出来て、幸せだったのかもしれない。今にして改めて思い知らされるのである。

今回の画像は、赤羽から121列車という普通列車に乗り込み、宇都宮での機関車交換の合間に狙ったスナップ写真。この時は、上野からEF58+EF57の重連運転でここ宇都宮まで乗り、機関車交換で現れたのは、これまたEF57の 5号機で、興奮しながらシャッターを切ったことを思い出している。そうこうしている最中、上り寝台特急「はくつる」の入線が告げられ、慌ててゴーナナとの並びにチャレンジした。大好きな583系と並ぶゴーナナが凛々しく見えたのは、この時初めてだったかもしれない。工事中の真新しい新幹線高架橋が見えていたが、宇都宮駅も乗客で溢れ、どこか活気があり、古き良き国鉄時代の一コマのように感じてしまった。

1976-10-31  121ㇾ& 6M はくつる   東北本線:宇都宮駅にて