風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

悪態の精神/庄幸司郎さんのこと(1)

2008-02-23 23:57:13 | コラムなこむら返し
Myvillage_in_pictur 「『ニクの日』後遺症/いのちのいただき方」にあの2月9日のZAIMイベントの報告を期待した方には、あやまらねばならない。でも、ボクにしてはあの一文は報告だし、報告以外のなにものでもなく、それもこの30年あまりの報告だった。
 書き落としたことはたくさんあったし、事実を間違えて覚えていたこともあったかもしれない。書かないで済ませた方が良かったこともあっただろう。ボクのかってのつれあいとの確執などだれも知りたくはないのだから、書くべきではなかったかも知れない。でも、そのことに触れずには60年代に過ごした新宿以降のボクの総括はありえなかった。
 実際、書いてないこともたくさんあるし、たとえば、市民運動のレベルに入ってからも三鷹の「ミルキーウェイ」と色々一緒にやったこととか、共同保育運動のこととか全然触れていないこともある。
 ともかくも、ボクはボク自身が現在「食の安全」とか、「有機農業」とか単なる時事的なキーワードで語られることの多い内実を生きようとしたということを伝えたかった。

 だからあのまるで、カスのような時代と思っていた80年代を懐かしく思う気持ちになりかかっていたら、奇妙な書物が向こうからやってきたのである。
 その本の著者とは、たびたび酒を飲んだことがある。中野のブロードウェィの手前、路地の中にボクがひいきにしていた手打ち蕎麦屋さんがあるのだが、まさしくその蕎麦屋のソバに「じんじん」という市民運動関係者がたむろする飲み屋があって、そこへ行くとまるでヌシのようにそのオヤジはいつもいたのだ。
 そのオヤジ、名前を庄幸司郎と言った。床建設の社長にして、記録社、青林舎などの貴重なドキュメンタリーを記録してきたグループの代表取締役、そしてドキュメンタリー映画のプロデューサーでもあった。して、その正体は?と言いたくなるが、庄さんは経済活動の成功者であるとともに、その稼ぎを市民運動につぎこんでいたのではないかと思われるほど、反骨精神のたくましい経営者だった。なにしろ、庄建設のPR紙である公称1万3千部発行の『告知板』というミニコミを刊行していて、そこには格安物件の不動産情報と共に、巻頭には庄さん自身が執筆する辛口の寸評が掲載されていて、そいつがまたベラボウに反体制的だったのだ!

(つづく)

(写真1)庄さんが、プロデューサーに加わった『絵の中のぼくの村』(東陽一監督、1996年シグロ)。この作品は第43回ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した。