風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

A・C・クラーク頌歌(1)/「幼年期の終わり」と宇宙エレベーター

2008-03-22 12:26:02 | コラムなこむら返し
A_space_odyssey2001 アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』(創元社版は『地球幼年期の終り』。原題『CHILDHOOD'S END』)は、最近光文社から古典新訳文庫として出版されたから、また新しい読者を獲得するだろう。
 この作品は1953年に書かれたが、米ソがその冷戦構造の対立を人工衛星の打ち上げ競走で競い合うそんな宇宙時代の到来する前史に、いわば思弁的な小説(SFは、アーサー・C・クラークの登場によって現代批評を含んだ思弁的な実験小説のおもむきを持ち得たものとなった)として、その後もたくさんのエピゴーネンを生み出す「ファースト・コンタクト」、「地球最期の男(ラスト・マン)」そして「人類の新しい階梯」といったテーマのさきがけとなった。
 言うまでもなくそれらのテーマは、S・キューブリック監督と組んで一世を風靡した『2001年宇宙の旅』にも通底しているテーマであることは、あの映画史上に燦然と残る作品を御覧になった方にはお分かりのことだろう。サルからの進化になんらかの役割をもたらした謎の物体モラリス、意識の変容をもたらす宇宙船の場面、白っぽい部屋と赤ん坊の顔の提示など、など。

 アーサー・C・クラークの思弁の筆は、「人類と宗教」、「神とは何か?」といったテーマにまで及び、アーサー・C・クラークはキリスト教圏では住みにくかったのではあるまいかという余計な詮索さえ呼び覚ますほどだ。事実、アーサーはダイビング熱が嵩じてという名目でインド洋に浮かぶ小乗仏教の国セイロン(スリランカ)の海岸沿いのバンガローを手に入れ、いちはやくパラボラアンテナを立てて、通信衛星を使って世界中の情報を得ていた。ダイビングはアーサーに健康・長寿とともに、生涯においてかなわなかった無重力状態の体験に近いものを与えただろう(事実、ダイビングは宇宙飛行士の無重力状態の訓練に取り入れられている)。
 また、静止衛星のアイディアはアーサー・C・クラークのものでもあり、アーサーはそのアイディアを「定位置衛星」もしくは「同期通信衛星」という名でその先進的な論文と共に考え続けていたようだ(その最も早い論文は「サイエンス」誌1966年掲載論文らしい)。
 そして、ここからアーサー・C・クラークが導き出したアイディアが「天のケーブルカー」であり「宇宙エレベーター」であった。

 20日朝、たまたま点けたTVで、福田首相がISS(国際宇宙ステーション)に滞在中の土井隆雄宇宙飛行士と交信している場面を偶然見た。このところその政治指導力に黄信号が灯りつつある福田首相は、なにを脳裏に描いていたのか知らぬが(まさか、「銀河鉄道999」では、ないだろう)土井さんに呼びかけたものだ。

 「そのうちステーションまで、新幹線で行ける日が来るかも知れませんよ」!

 ボクが驚いたのは、我が国の首相が何げに言った言葉が、前日に死去したアーサー・C・クラークのアイディアと偶然シンクロしていたことだ。福田さんは気がつかなかったかも知れないし、アーサーのこともさほど御存知なかったかもしれない。しかし、その何気ない発言こそは、いまだ人類の到達したテクノロジーになってはいないが、きっと将来的には到達するだろう宇宙船のいらない「宇宙エレベーター」のアイディアそのものではなかったのか。そう、A・C・クラークというSFの巨匠が描いたアイディアだ。20世紀のテクノロジーの限界に規定されながら(パラダイムの限界である)、その人は想像力とヴィジョンでまるで未来を透視した。まるで、予言者が未来のことを語るように、パラダイムを超えるビジョンをその作品に込めたのだった。
(つづく)

(写真)映画『2001年宇宙の旅』より。



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