![Miller_portrait_2 Miller_portrait_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/1b/5c4c0adc52e8594486e09a3fd582cfe6.jpg)
2日前のこのヘンリー・ミラーに関する論考で、ボクはアナイス・ニンの日記を引用したが、そこにアナイスが「彼は……仏教のお坊さんの感じだ」と書いたこともあながちウソではないようだ。ヘンリーは書いている。
「ロレンスはその論文の一つで、宗教的と性的という二つの優れた存在の仕方があることを示し、宗教的であるのは性的であるのよりも上であると言っている。彼によれば、性的な存在の仕方は小乗の道なのであるが、私は常に道は一つであり、それは救いではなくて悟達に導くものと考えてきた。」(「性の世界」)
とすれば、そのような認識をヘンリー・ミラーが明確にしている訳ではないにせよ、このような考え方はほぼタントラの思考法と近似しているとは言えるだろう。御仏がダキニ(神妃)と合体している図象がチベット仏教にあるが、あのような心境と言えばいいだろうか。ヘンリー・ミラーはいわば「性の求道者」で、自身もそのことに自覚的だった。
巴里での生活の2年目あたりにヘンリーは、「クリシーの静かな日々」の中で、カールとして登場する作家志望の男とアパルトマン(事実はホテル)をシェアして住んでいる。この人物は、のちに『わが友ヘンリー・ミラー』を書いたA・ペルレスであり、彫刻家オシップ・ザッキンへの山のような借金に苦しんでいたヘンリーは、転がり込むようにしてペルレスの好意に甘んじる。
「クリシーの静かな日々」という中編は、この時代のエピソードを書いたものだ。
おそらく妻ジューンからの送金で久方ぶりの小金を手にした主人公が、カフェで出会った貴婦人のような娼婦に有り金を巻き上げられて(同情してひと夜を共にした対価としてすべて差し出すのだ)、ひもじい思いをして部屋へ帰るとカールは14歳のまだ年端もゆかぬ小娘コレットを引っぱり込んでおり、そこから奇妙な三人の共同生活が始まる。さらに、ピストルをバッグにしのばせた夢遊病者のおんなのエピソード、ハンブルグでの三人の娼婦との話、などなど。ミラーがおそらく辛苦をともにして生涯の親友となるカールことペルレスとの性的な冒険の一部始終が語られた作品だ。
ふたたび、アナイスの日記から。
「彼の生活。底辺、下層社会。暴力、非情、金の無心、遊蕩。何という動物じみた生命の奔流。彼の言語、わたしのまるで知らない世界の描写。ブルックリンの街並み。ブロードウェイ。グリニッジ・ヴィレッジ。貧困。無学な人びとやあらゆる種類の人間とのつき合い。」
このアナイスの日記のヘンリー・ミラーに関する記述のある箇所を抜き出して作られた『ヘンリー&ジューン』という本がある。この日記をもとにして1990年「私が愛した男と女/ヘンリー&ジューン」という映画が製作されている。この映画についてはあらためて書こう。
(了)