![050119rock](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/c7/3b5d37e11bec32de80b02df81f638c69.jpg)
そのうえで発言するのですが、Rockは巨大な産業になる以前は、この世に存在する不正、不平等、抑圧に対していつも闘い、メッセージを発して来た。それも、同世代の若者たちへ向かって! ともに戦え、不埒なるものへ声をあげろ、雄叫びをもってその音楽的ルーツである、黒人のように、有色人種のように、抑圧から解き放たれることを希求し、不正と、不平等を許すなと、アジテートしてきたのだ!
Rockは、これは少々勇気をもって断言しなければならないかもしれませんが、「ホワイト・ニグロ」の音楽なのです。ジャズがニグロ(アフリカン・アメリカン)の西洋楽器をもってする「黒い音楽」だとすれば、Rockはおなじブルースのルーツを持ちながらも、ニグロになりたがったプワー・ホワイトの「灰色の音楽」だったのです。彼らの事を「ホワイト・ニグロ」と呼びます。ゆえに、グレーに染まったクレオール(混血)的な音楽だったのです(クレオールは本来、植民地生まれの白人の事を指したフランス語)。
ボクは、だから「被災した子どもたちを、救えるのはRockだからこそだ」と言いたいのです。Rockは、本来、高みから「飢えた子どもの前で……」と思索する手段ではなく、社会的底辺に置かれたものが発する一種の一発逆転の賭けでもありました。一夜あけると世界的な名声を持ったロック・スターという華やかなサクセス・ストリーが、かっては存在したからです。しかし、その前に自分達は、もしくは成り上がられなかったものは社会的には、貧しい、家庭も崩壊しそうな底辺にいるということを肝に銘じなければなりません。
だから、Rockでやる<ライブ・エイド>とは、まず世界の中で救われがたい自分達の引き裂かれたクレオール的な存在を明確にすることで、アチェの被災した子どもたちや孤児になった子、そして世界中のストリート・チルドレンへ連帯を表明することなのです!
それは、まさしくロック・スピリットだから可能なのです!
(※若干の補足。インドネシアには、ジャワ島を中心に伝統的な音楽とは別に、エレクトリックな楽器で歌うポップな「ダンドゥド」というジャンルがあり、ポピュラリティーを獲得して巷でも流れており、村まつりのような場所でコンサートもひんぱんに開かれ、生のコンサート自体に触れる機会はむしろ日本よりある。
写真は1月19日に大阪梅田「レイン・ドッグス」で行われた津波被災支援のための「緊急ライブ」。プロアマ問わずに多数のミュージシャンが集結し、関西の底力を見せつけた。東京からボクがただひとり、神奈川から「ねたのよい」が参加した)