風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

愛猫LaLaの小さな冒険

2005-02-04 23:49:58 | トリビアな日々
wanted_lala2月になったばかりの1日に思いがけない「事件」が起ってしまった。ドアを開けたとたんに、足下をくぐり抜けて飼い猫が脱出し、そのまま出奔してしまったのだ。
そりゃ、飼われている猫にしてみても、フーテン野郎のとこでそうそう長居を決め込む訳にはいかぬと覚悟をしていたのだろうが、親が野良で出生時に不憫に思ってひろって以来、二歳になるまで手塩にかけて育ててきた身としては、この寒空ではと不憫でならず、みずからすすんでホームレスを選んだわが愛猫の行く末を心配していたのであった。
というより、やはりこちらの方が寂しくてならず、あ、なんだ、飼い主であるオレがこれまで癒され、なぐさめられていたのかと、やっと気付いて気に病んでしまった。
雑種とは言え、ロシアンブルーの血の入っていたわが愛猫LaLaは、長じるに従って毛並みも良くなり、なでると心地よかっただけにこころの中にポッカリとオゾン・ホールが出来てしまったようであった。首をかしげて、すこし緑色かかった美しい瞳孔で見つめられると、なんだかおかしな気分になってくるのだ。
先日の「あかね」で、ネコのポエトリーを読んだのが良くなかったのか? オレは、そのポエトリーの中で、飼い猫をストレスのはけ口にしていることを告白したのだった。いくら後悔すれど、なにも解決せず、オレは「手配書」をMacで作り近所に貼ったのであった…。

ところがである。迷子になってしまってもう帰ってこないのかなぁ、と思っていた矢先、ベランダでニャ~と鳴いて突然、LaLaは戻って来たのである。このフーテン娘め!

「プチ家出」ということばは知っていたが、まさかネコの世界にまで浸透しているとは思ってもみなかった。
ましてや、こちらの心配も知ってか、知らずかネコシャーシャー(?)として帰って来るところまで、いまどきの娘とおんなじだと言っているオレはやはりジジィ化していたか?

そういうオレも十代の頃は、家出をくり返しプチではなかったが、生活に困ると帰宅してなにかをかっぱらって、また新宿へ行くと言うムチャクチャな暮らしをしていたのだった。死んでしまった母の寿命を縮めたのはオレかも知れない。なにしろ、やっと連絡があったかと思えば、それは淀橋署(現在、新宿警察署)からの身元確認だったりしたからだ……。

その頃、オレは頭はモジャモジャの伸ばしっぱなしの長髪で、俗に言うフーテンバックを、肩からさげ、その重さに(なにしろ全財産の大半は本だった!)よろけながらふたたび、みたびの家出をくり返していた。ある時は、レモンを片手に持ち「丸善」ならぬ新宿「紀伊国屋書店」本店のアメリカ文学のコーナーを想像力で吹き飛ばすために、ギンズバークやケラワックの書籍がいくらかあったコーナーに仕掛けに行った。
文化人につきあいがあり、ある意味パトロン的な存在でもあった田辺社長(茂一さん。当時)には恨みはなかったが、「文化」や「文壇」というものは、当時は憎悪の的だった。レモン(檸檬)は梶井基次郎に学んだ鮮烈な想像力のテロリズムだった(その紀伊国屋書店が出している「Feel」というリトルマガジンに、オレのサイト『電脳・風月堂』が現在、紹介されているらしい。皮肉なものだ)。

そう、いくら探してもその行方が杳として知れなかった愛猫LaLaは、おおよそ50時間の失踪の果てに、我が家のベランダの外でニャ~と鳴いて、その存在を知らせた。なんだよ、ちゃんと飼い主であるオレのウチを覚えていたのかよ。結構、必死になって探したのかも知れない。寒さと、危険と、空腹のため野の生活をあきらめたのか?
お前の自由を求める気概は、どうしたんだよ! と、怒鳴ってやりたかったが、失踪して以来、心のオゾン・ホールのすき間を埋められなかったオレは、やさしく迎えてしまった。さすがに、疲れたのか、エサをむさぼるように食べると昏睡したかのように寝入ってしまう。ころ合いを見計らって、シャワーをすると濡れそぼったLaLaは情けない目付きでオレのことを見ていたが、おびえていたのはそこまでで、シャワーのあとまた心地よくなってストーブの前を独占してふたたびスヤスヤと安心したかのように寝入っている。

オレは、このヤワな愛猫を情けなく思いながらも、複雑な気分だ。こいつ、失踪していた50時間に何をしてきたんだ? この空白の時間の中で、もしかしたらオトコ(失礼!オスですね)を知ったのかも知れない。オスと交わって来たのかも知れない! オレは、朝帰りした娘を疑いの眼で見るバカ親のように、何もしゃべらぬ愛猫を疑いの眼差しで見つめているのだ。