はい、ボクはガキの頃に黒沢映画やエノケンや白黒TVで、笠置シヅ子の歌う姿を記憶している。笠置シヅ子は「ブギの女王」と呼ばれて、ある意味今日のJ-POPの先駆的歌手である。いやいや、歌謡曲の女王美空ひばりとて笠置シヅ子のコピーとして当初登場した訳であり(そういうスタイルは実は歌謡界では多い。西田佐知子のコピーとしていしだあゆみとか、歌い方を比較してみればだれしにも分かることだ)、その存在意義は淡谷のり子と双璧をなす。
というのも、淡谷のり子は「ブルースの女王」であり、笠置シヅ子が「ブギの女王」と言えば、だれしも頭の中に描くのは「ブラック(アフロ・アメリカン)・ミュージック」であり、黒人の文化と歴史だ。そう、彼女たちはこの国におけるブルースとブギブギというブルーノートな音楽性を伝えた伝承者であるはずだ。だが、「ブルースの女王」のブルースはむしろ、ブルージィなブルーノートのブルースではなく、この国の歌謡の伝統と音階に基づくものだった。
笠置シヅ子のリズカルなダンス・ミュージック性はその意味でも、この国のボーダーを越えたものだったと言えるかも知れない。
笠置シヅ子については、またあらためてふれることにする。
そこで、ボクはララリーヌさんの歌う姿をあらためて見て、「平成の笠置シヅ子」と思ったのである。スィング感、バイタリティあふれる歌い方……ああ、ボクがなぜか引き付けられていたのはこの感覚なんだなと思い至ったのであった。
ボクは、この「平成の笠置シヅ子」ララリーヌさんを、応援したいなと思ったのである。いまや、忘れ去られようとしているひとりの黒い歌手であった笠置シヅ子を思い出させてくれただけでも、このひとの目指すものは面白い、と、そうひとりごちたのであった。
(ライブ・エイド続報その2/終わり)
というのも、淡谷のり子は「ブルースの女王」であり、笠置シヅ子が「ブギの女王」と言えば、だれしも頭の中に描くのは「ブラック(アフロ・アメリカン)・ミュージック」であり、黒人の文化と歴史だ。そう、彼女たちはこの国におけるブルースとブギブギというブルーノートな音楽性を伝えた伝承者であるはずだ。だが、「ブルースの女王」のブルースはむしろ、ブルージィなブルーノートのブルースではなく、この国の歌謡の伝統と音階に基づくものだった。
笠置シヅ子のリズカルなダンス・ミュージック性はその意味でも、この国のボーダーを越えたものだったと言えるかも知れない。
笠置シヅ子については、またあらためてふれることにする。
そこで、ボクはララリーヌさんの歌う姿をあらためて見て、「平成の笠置シヅ子」と思ったのである。スィング感、バイタリティあふれる歌い方……ああ、ボクがなぜか引き付けられていたのはこの感覚なんだなと思い至ったのであった。
ボクは、この「平成の笠置シヅ子」ララリーヌさんを、応援したいなと思ったのである。いまや、忘れ去られようとしているひとりの黒い歌手であった笠置シヅ子を思い出させてくれただけでも、このひとの目指すものは面白い、と、そうひとりごちたのであった。
(ライブ・エイド続報その2/終わり)