風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

節分・追儺(ついな)・鬼やらい

2005-02-03 23:27:10 | トリビアな日々
housou_si立春の前日に追儺(ついな)の式が、行われるようになった次第はもともと宮中行事として、中国の影響の下、行われていたシャーマニックな厄払いもしくは悪魔払いが、民間信仰、行事となって残った神事の名残りであるらしい。追儺の式は、「鬼やらい」とも言い、都の平安を祈りて平安朝の頃から行われてきたものである。となれば、容易に思いつくように、「鬼」や「疫神」とは、平定された先住の民や豪族の事に、他あるまい。「鬼」とは、「隠(おぬ)」であって、これは渡来人を含む異邦の民や、先住のまつろわぬ民の総称であろう。
今週号の「週刊朝日」の巻頭に写真の掲載されていた平安神宮や同じく京都の吉田神社の追儺の式など、雅びやかなかっての「鬼やらい」の様子を伝えるものであろう。これは、陰陽師のまさしくシャーマニステックな力(平定する力)が生きていたもしくは信仰されていた戦乱の世の平和を祈願する思いが伝わって来るような行事だと思う。

邪(よこしま)なパワーは、方位やとりわけ五行(現象)の中にあり、そのような「邪気=鬼」を追い払い、平定するのが四つの目を持つ、方相氏(ほうそうし)の眼力で、その睨み付けるパワーと「鬼遣(おにや)ろう!」という掛け声によって「邪気」は、払われ場(空間)と都(首都としての京)は浄化される。
追儺の式とは、いわば新しい年、春が来る前日に大晦日に一年の邪気を払うために行われる若水の儀式と同じことで、それが豆(豆は魔滅に通じる)まきによって、鬼を払い一年を浄化すると言う「節分」の民間行事になったものであるようだ。
(しかし、ここに書いたことは民俗学者でもない素人のボクが考えた解釈で、かってに引用しない方が身のためですよ)