風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

(今日の顔)安田純平さん

2005-02-22 01:07:51 | 国際・政治
junpei_yasudaもう10ケ月ほどの時間がたったらしいが、昨年の春頃、イラクで米軍に包囲され攻撃を受けていたファルージャの問題が世間の耳目を集めていた頃、バクダット入りを目指していた高遠菜穂子さんらが、武装ゲリアの一団にとらえられ「自己責任論」のバッシングの波が沸き起こったということがあった。
高遠さんは「ひとりNGO」で、たったひとりでイラクのストリート・チルドレンや孤児の面倒をみていたと報じられた。『週刊文春』をはじめとしたスキャンダル・ジャーナリズムは高遠さんが、バックパッカー時代のことを書いた半自伝的な著作からあげつらって高遠さんを「ガンジャ・ウーマン」と呼んだ。
きっとその活動がキリスト教などの団体を背景にしたものであれば、おそらく資金力だけの問題ではなく、もしかしたら「イラクのマザー(テレサ)」と呼ばれても言いかもしれないその活動をお世話になったストリートチルドレンの声として「ボクが身代わりになりたい」と言ったということを伝えたのは豊田直巳さんであり、接触して取材したのは安田純平さんというジャーナリストであった(豊田さんはフォトジャーナリスト)。
この高遠さんの人質事件が無事解放というかたちで解決してのち、すぐさま安田純平さんは、一緒に移動中だった市民運動家の渡辺修孝さんとともに、武装集団(安田さん自身によると「自警団」)に拘束され、三日ののちに解放された。

この事件でリスクも背負ったが、フリージャーナリストとしては破格的に有名となった安田さんは、その後も紛争地や事件の現場を歩き取材を続けてきた。つい1月に10日ほどだったが北スマトラのアチュ州の取材に入って帰国していた。

20日、その安田純平さんと、この間の連続<ライブ・エイド>でかかわりの出来たインドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)のメンバーを招いての「緊急支援集会」が国立・国分寺の市民の手によって開かれた。その集会に、開催されるホールを勘違いして大幅に遅れてだが、参加した。
で、この写真は本人に了解の上、撮らせてもらい、ブログへの掲載も了解をいただいたのでアップします。

安田さんの報告は、さすがに元新聞記者(信濃毎日新聞)だけあって、まとまったもので自分のPCにファイルされた映像データをスクリーンに投影しながらの話だった。

御本人は、拘束事件後のヒゲ面、ボサボサの頭という印象からは(当たり前なんだが)ほど遠いスクッと背筋を伸ばして立つ好青年風でありました(少林寺拳法の有段者であるらしい)。