風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

困窮する子どもの前でRockに何が出来るか?(1)

2005-02-06 23:45:05 | 曲水の宴/う・た・げ
飢えた子どもの前で哲学は何ができるか? とテーゼをたて、哲学の、思索行為の無力さを自認して、アンガジェーマン(社会参加)をサンジェルマン・デュ・プレからとなえたのはJ・P・サルトルでありました(古いなぁ!)。ボクたちは昨年暮れの12月26日に突然スマトラ沖でぼっ発した大地震とその影響によるつなみ被災した(実際、つなみ被害の方が13ケ国以上におよぶ広範囲で、甚大な被害をもたらした)子どもたちを、ライブ・ハウスで踊りながら救えるや? と、問題を立て直します。

そう、歌舞音曲で踊り、楽しみながらアジアのこのようなコンサート会場やライブハウスなど入ったこともないだろう子どもたち、被災民の救済が出来るのでありましょうや?
たとえば、今回ボクらが企画した「ライブ・エイド」の収益金を贈ろうと考えているアチェの子どもたちは、おそらくジャワ島のストリート・チルドレンの姉弟よりも、さらにライブ・イベントに無縁でありましょう。
ボクが、ジャカルタの「Hard Rock Cafe」の階段下で出会ったストリート・チルドレンの姉弟は、2時間ののち散々楽しんで店を出て来た時、先ほどとおなじ姿勢でもたれあいながら眠っておりました。ボクは、その時、自分の想像力の欠如に深く傷つき、それ以来、バンコクでも、バリ(クタ)でも、六本木でも「Hard Rock Cafe」には、入っておりません。「Hard Rock Cafe」と、ストリート・チルドレンの構造は、まさしく60年前の、この国におけるアメリカ兵と、戦争孤児、浮浪児との関係だと言うことに気付いたからです。だから、いまだ「Hard Rock Cafe」のTシャツをこれみよがしに、着ている若者を見るとうとましくてならないのです。「そういうことじゃないだろう……」と、呟きたくなるのです。
でありながら、ボクはダンモ(モダーン・ジャズ)にとって最後の世代で、同時に聞いていたHard Rockの第一世代でもあり、Hard Rockいや、Rockそのものが、反抗と反体制と反戦と自由への飽くなき要求を抱いていた頃からのファンであり、むしろそのRockにとっての良き時代をも知っている世代だということにもなるのでしょう。