風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

あさかぜ・さくら・関門海峡・原風景

2005-02-25 14:46:25 | トリビアな日々
asakaze23日の夕刊でそれを知ったボクは、Macに齧りつくと夕飯も食べずに、JRの予約サイトへすっ飛んでチケットを取ろうと必死になった。

23日朝日新聞夕刊トップ。「ブルトレ 人生の相棒/「あさかぜ」「さくら」28日最終」

「人生の相棒」なんて、朝日にしてはなんて浪花節的な、演歌なタイトルを付けたものだろう! ま、いわば鉄道とともに人生を歩んできましたという「鉄道(ぽっぽ)家」稼業は、JRとして民営化されてのちも美談として語られるだけハナなんだとボクは考えることにしている。IT企業や、ベンチャーの進出はホリエモンの例をみても分かるように、日本人が培ってきた美徳ともいうべきものに泥を塗っている。この国にはダブル・スタンダードというものがあり、それが分かりやすく言うと「タテマエ」と「ホンネ」なんだという土壌はある種の人間には痛快に、他の人には不快に思わせる原因になっている。ま、経済活動にジェンダーが介在するのがおかしいように、慣例と言うルールなんてものは存在しないのだということは、泥試合としかいいようがないニッポン放送の株取得騒動をめぐるライブドアVsフジTVの今回の騒動をみても分かると言うものだ。セックスとエコノミーには「人格」というものは存在しない。

さて、最初に断っておくがボクは鉄道マニアではない。しかし、鉄道には言い知れぬ愛着を持っており、タイでも、インドでもわざわざ鉄道で行くことにこだわったりする位には鉄道が好きなのだ。その、愛着は他ならぬボク自身が故郷喪失者(デラシネ→ディアスポラ)として、生きてきて(生きざるを得なくて。だってそれは、親を選ばないように選べることではなかった)その原風景としての、上京した際に見た車窓からの風景と言うものがあるだろう。それから幾度そのあたりを通過しても、確認することはできないのだが、関門トンネルを通った時に10歳ほどの少年の脳裏に刻み付けられた黒い枕木と、コールタール臭い匂いと、冬ざれた海峡に立つ寂し気な立木は、忘れようとも忘れられない。
きっと、それは初冬の季節で、ボクが離別した両親のあいだで、まるで物かペットの動物のように奪われたり、押し付けられたりし、そうして、何処とも知れぬ未知の場所に向かうボクの心象風景を表わしていたに違いない。

おそらく、上京してきた時はその列車ではなかった。しかし、その後もたびたび、ボクは故郷に向かう時(ボクには「帰る時」とは言えない。なぜなら、長崎には墓所はあれど、もはや帰るべき所も人もいなかったからだ)、ブルートレイン「さくら」(東京-長崎)を使った。この寝台特急は、インドの、タイの特急列車に乗った時の、格好の比較の基準となったということは、正直に申告しておこう。
そのような、ボクにとってこの新聞の夕刊記事は「晴天の霹靂」だった(ちなみに、これは「せいてんのへきれき」と読みます。次のテストに出すから、覚えておくように!(笑))。
これは、冥土の土産にブルトレから見る車窓の風景を、まぶたに焼きつけておかねば……と、思った次第だ。

今回「あさかぜ」(東京-下関)、「さくら」(東京-長崎)のブルトレの中でももっとも古い2系統が廃止されるが、ブルトレすべてがなくなる訳ではないから誤解しないように……(このあたりも試験のツボだからね)。しかし、ボクにとっては一番思い入れの強い系統であり、ボクは是が非でも最後の「さくら」に乗りたかった。で、メシも食べずに必死になった訳だ。

結果、長崎まで直行する「さくら」は全席埋まっていた。しかし、下関までの「あさかぜ」の禁煙席がとれたのである。で、たてまえ、父と祖父と祖母と先祖の皆様がお眠りになっている墓参りという名目で長崎に行くことにしたのです(ボクのブログを丹念に読んでくれている読者がもし、いるとしたならば、ボクの母は千葉に樹木葬で葬ったことの意味が分かるはずだ)。
そう、下関から日豊線を乗り継いで門司に関門トンネルを渡り(正確にはくぐり抜け)、在来線を乗り継いで長崎まで行くのだ。帰りも同じコース。往復、廃止されるブルトレに乗ってくる。とりわけ、帰路(28日)は「あさかぜ」にとってもラスト・ランであり、その感動を昭和30年代に重ねてしみじみと味わってきます。

そう、もちろん先日の話題にしてから本場のチャンポンメンも食べてきますとも!
(しっぽく料理は高くておそらく手がでないと思われる。また「銀嶺」のもまた行ってこようと思ってる。好きな店です)


2/17<つなみライブ・エイド>収支報告

2005-02-25 14:17:38 | 国際・政治
2月17日に新大久保のライブバー「水族館」にて開催した『インド洋津波被災民支援ライブ・エイド』には、多数のミュージシャンに出演していただき、また観客として参加していただいたみなさんありがとうございました(内容のレポートはブログで継続中です)。
事務能力の欠如したボクが、収支報告を書ける状態にまでになりましたので、御報告いたします。

イベント入場収益   15,600円
会場内バウンティング 10,476円
カンパ         3,000円
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総計         29,076円

ここから振り込み手数料、チケット制作の文房具代 1,035円を引かせてもらって、
トータル 28,041円 を本日2月25日付けで、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)に郵便振込で送付いたしました。ぜひ、アチェの子どもたちのために、生活・教育などの復興支援に有意義に使ってもらいたいと思います。

これで、「電脳・風月堂」関連では「あかね」でのバウンティング10,800円とあわせて、39,876円を今回のインド洋つなみ被害の義損金として拠出し、先のNGO/NINDJAに贈りました(なお、ライブ・エイドは次回の池袋EGPP(3月5日Step18)まで続けられ、今回はララ・ロッキーさんの故郷であるスリランカに対する救援活動をしているNGOを対象として贈るつもりです)。

NINDJAの活動に関しては、そのリアルタイムの活動が、ブログで公開されていて、これがアチェに関するさまざまな報道がされてきた中でも抜群に生々しく面白くておすすめです。現在は代表の佐伯さんが現地報告を続けていらっしゃいます。→http://nindja.exblog.jp/



ビルン避難民キャンプに21日に運ばれた物資
(レートは1円が88Rp.(ルピア))

米   720キロ 230万4000Rp.
緑豆   48キロ  27万3600Rp.
食用油 240キロ 103万2000Rp.
砂糖  121キロ  60万5000Rp.
卵   2,016ケ  99万7800Rp.
食用油容器     19万2000Rp.
 ――――――――――――――
合計       540万4500Rp.

で、これは日本円で6万1415円でしかないことなどの、現場でしか知り得ない感覚がひしひしと伝わってきますよ(NINDJAのブログ23日付けの現地報告より引用)。